日本映画考@アテネ・フランセ

今岡信治 「にぎって」(OL性白書 くされ縁)
おもしろいおもしろい。驚く面白さ。今まで知らなかった面白さ。そして、ここでは昨日感じたピンク映画のへんな約束ごとはなかった。セックスはリアルだったけど。ドラマはものすごくヘン。こんなふうな物語。
女優黒田詩織というきれいな女性のセックスをしている顔のアップではじまる。その気のない顔は次第にリズムに合わせながら「しあわせなら手を叩こう」を鼻歌で唄い出す。と、まじめにやれよ。の男の声に。「わたしたち、わかれましょう。わかれてください」と、しながら別れ話。それから別れることになったらしい二人が歩いていると、「しあわせなら」の曲を笛で吹く小学生が通りかかる。そこにP1G(ピンク映画のグランプリ)のTシャツを着てジョギングをしている男が少年を突き飛ばす。彼女はその男をつかまえろと彼に言う。ジョギングシューズで追いかけっこをする二人の男。ついに男はつかまり少年に謝る。少年は感謝。彼女は彼と別れた原因だった新しい男の家に。すると男にはまた新しい彼女ができている。「恋しちゃったんだよ」みたいなことを言われて婚約指輪を外す彼女。指輪は揚物をしていた油の中に。その油に平然と両手をつっこみ大やけどをする彼女。両手に大きな包帯姿が可愛い。元彼の方も家に来た別の彼女とセックスをするのだけど、すぐ前に別の彼女がいたことがばれる。そこに突然彼女の兄が訪れて頭をバットで殴られる。頭からピューっと血が吹き出る彼。兄は妹にお前もやる?と言われて思いきり彼の体をバットで殴る妹。しかし次のシーンで普通に絆創膏一つで現れる彼。。
だめだ。なんかどれだけ書いてもこの映画の面白ヘンさは伝わらない。で、あと面白ヘンさだけを省略して書くと。
たびたび、彼女の携帯が「しあわせなら手をたたこう」のメロディで鳴るのだけど、何も用がないという母親から。突然腹の具合が悪くなる彼女は別れを言われたカップルの家の便所を借りるが出してしまう。深夜の道路で彼をバットで殴る彼女、車の窓を割ってしまい、その持ち主の夫婦の家に連れ込まれSMをやらされるが、彼が彼女をかばって代わりに縛られる。包帯のやけどのあとをキスしてと迫る彼女にためらっていると、彼女はタクシーで去る。それをどこまでも走って追いかける彼。携帯の電話が鳴り母親が「父親の似顔絵を描いてくれ」と言われる。包帯をしなおすと、樹海に行けば願いが叶う。というメッセージが現れる。樹海で迷子になってしまう二人。そこに笛を吹いていた少年が現れて二人を救う。幸せそうに暮らす彼と彼女。彼女は父親らしい男の似顔絵を描いている。
とか、もう書いてて疲れ果てる。次から次へ襲う受難を受け止めては奇跡で救われる。という物語も何もかも確信犯的に強引に飛ばして、強引に次の場面が現れる。そんなみたこともない手法に笑いと二人のひたすら不幸や奇跡やら何でも向かっていく姿がとても清い。ああ、面白い面白い。と喜んでいるところで、つぎの上映
いまおかしんじ「お弁当」(熟女・発情 タマしゃぶり)では、さらに客席に女性達が増えてすごいことに。
しかし、この映画は相変わらずな意味不明な笑いも少し添えられているけど、基本的にかなり真摯に主役の女の子の愛の物語として作られているので、ちょっとひいてしまう。言葉を出せない(出さない)主役のボーリングのインストラクターをしている彼女と郵便局で働く彼への、行きすぎてしまう愛の物語。たぶん、それはかなり本気に見えるセックスシーンと、不要ではないかと思われるくらいの過剰なセックスシーンと、奇妙なお笑いの中に入ってしまうと、こちらからはきれいに救い出せない真剣な愛の物語だったからではないだろうか。いつも「ストライクいっぱつ」と叫んで彼女を笑わせてくれたボーリングのボールで彼を殺してしまい。泣きながら抱きしめる彼女や。その彼を砂浜に埋めて、埋め終わった砂を抱きしめる。という真剣な行為がピンク映画内でどうどうとやられてしまうと観ていて辛かった。ここでもわたしの中で、リアルさと物語との折り合いがうまくつかなかった。
そして映画マニアの人たちから評価の高い今岡信治監督が、まだあえてピンク映画に拘るのは、それしかないからなのか、それが戦略なのかもわからない。面白いピンク映画というのがあるというのは十分にわかったのだけど。かつてのロマンポルノ以上のピンク映画という逆にセックスシーンの過剰な描写とその量の多さという制約の中で面白さ以上のものを観る物に与えるのはかなり困難なことなのかもしれない。
そして、どうしてまだピンク映画という分野が成立できているのかという謎は解けない。大勢がいる映画館の中で興奮をしたい。という欲望も一種のフェチシズムとしてありなのでしょうか。