2008-03-01から1ヶ月間の記事一覧

 パーカーとわたしの10の約束

MASS OF THE FERMENTING DREGS をよく聴いている。 パーカー好きなので、あまりよく見ずに買ってしまったパーカーは、近くに牛がいたら猛スピードで突っ込まれるように赤く、パンツをはかなくてもワンピースとして着られるくらい丈が膝まであって、下にシャ…

 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程

連合赤軍を扱った小説や映画で、よかったものなんてひとつもない。特に最近の「光の雨」、「突入せよ! あさま山荘事件」はわたしにとってはひどい映画だった。だからといって長谷川和彦の赤軍映画に期待をしているわけでもなく。若松孝二の赤軍映画に期待を…

 俺達は勇気がなかった

猫への薬のあげ方について、フォームでご教授いただいた方、ありがとうございました。とりあえず猫はしばらく薬なしで様子見となりました。犬猫だけは元気に動いています。 毎朝、トイレに入ると、きまって扉の下から猫の手が差し出されて、紙くずがトイレに…

 なにもかもをそいでみる

映画で使われるあまりに芝居的な演出を削いでいったものや。類型的な物語性や人間性を描くということをどんどんそいでいった物が観たいな。と思ったところにはまったのが、アテネ・フランセ文化センターでの「ヴァンダの部屋」をはじめとする、ペドロ・コス…

 おもいでをつくってみる

レニ・バッソ「パラダイスローグ」。田中泯 「世界堂々でんぐり」。Co.山田うん「ドキュメント」をさくっと観たのだけど、次第に踊りばかりを観に出かけているのはなぜなんだろう。あまり話題にならなかった「ムネモパーク」が(おお。今回もひらづみさんが…

 マンチカン♀6歳くらい

ついにわたしのような末端会社員の自宅にまで、シンクライアント端末が配られた。しかし、HDDなし端末の起動の面倒くささといったら、最先端なのか最後尾なのかわからない。 自分のここで書いた文を読み返すと、くだらなくてかなり痛い。しかし、現実はも…

 猫と薔薇

猫のゲロをよく見たら、薔薇の刺が入っていた。わたしがいない間に薔薇の葉や刺を食べていたのか。と薔薇の鉢を片づける。このまま死んでしまったら、きみの墓碑名に「ある雨の朝、薔薇で死す」と書いてしまうよ。と言って、猫のあごをなでる。猫は手足を丸…

 おれはまだいきるから

父が入所している施設で、また不条理な台詞を一人語る父に適当に頷いていたら、次第に語気が荒くなり、涙を流されてしまった。側で自分の昼食を摂っていた介護士の方が隣に座って、頷きの見本をみせてくれた。自分の食事を摂りながらでも、それはそれは、魅…

あの子も、いつもふかさせられてんのかなって

シンクライアント上のwindowsはwindowsではありません。という自分でもフにおちない説明を会社関係の女子にしてもピンと来ない顔をされたので、マリリン・マンソンからマリリン・マンソンが抜けたあとのマリリン・マンソンみたいなものだという適当な説明を…

 無垢の笑顔に未完の幸せを envy

このところenvyばかりをよく聴いている。わたし、envyな気分なの。好きになって大丈夫だったのかしら。ボブ・ディランやニール・ヤングなわたしだったのに。ずいぶん遠くまで来てしまったものだわ。来月はライブに行くことを決めてしまったのだけど。いろい…

 人間は堕落する。それを防ぐことはできないし、人を救うことはできない。

アラスター・グレイの「ラナーク」や「哀れなるものたち」を読んで、エリザベス・ボウエンの「エヴァ・トラスト」やら厚い翻訳小説を読むのは幸せだ。家で読む小説を選ぶ基準は、ただその本の厚さだけだ。物語はときにその量だけで質を凌駕する。 しかし、た…

 モリのアサガオ

わたしは小学校にあがったばかりのころにテレビで何かの死刑執行の場面を見て、ものすごい恐い物を見てしまったという記憶を引きずっている。どんな殺戮映画や、切り株ホラー映画よりも、死刑の現場を見ることこそリアルな殺人の現場を見てしまったことだか…

猫には余裕がないのである。生きることが、ただ全部なのだ。安吾

実家で、母親の身辺整理を手伝う。「わたしが死んだら」が口癖となった母から、そのときの諸々な手順の説明を受ける。母と父とわたしと猫と犬の死ぬ順序について、どの順序が最適なのか普通に語り合う。誰にとって最適なのかは考えない。いろいろな物が処分…

 「ムネモパーク」鉄道模型の夜

康本雅子「チビルダ ミチルダ」を見た次の日に「ムネモパーク」の演劇を超えたところに悶絶。この舞台設定のアイデアが素晴らしく、老人達の振舞いが素晴らしく、成り行きかと思わせて緻密な舞台構成が素晴らしい。舞台の鉄道模型とそこに積んだカメラが映す…

 チョコ菓子の弾丸は撃ちぬけない

仕事中に糖分を補充しなければと思って、机で明治の板チョコを食べているときに限って、隣の彼は亀田製菓の米国進出について語りながら柿の種やポテトチップを食べる。そのとき、わたしの脳は糖分のことしか考えられないので柿の種の匂いすら嗅ぎたくないの…

 たのしすぎた

近所のヴィレッジヴァンガードへ行くたびにレジの近くに置かれているHOLGAやLOMOのトイカメラを欲しくなっていたのだけど、なにせフィルムを換えたり現像に出すのが面倒と思っていたところ。世間では、VQ1005というトイなデジタルカメラが流行っているらしい…

 みすぎた

先週は仕事を休んで殆ど毎日舞台を見た。五反田団とチェルフィッチュとサイモン・マクバーニーの「春琴」も西巣鴨で「溺れる男」も見た。映画館へも行き、舞台のあとにレイトショウにも行った。そのついでに、母の病院と猫の病院と自分の病院へ行っては、み…

 繰り返される諸行無常蘇る性的衝動

わたしの年表があるのなら、21世紀はフジロックと猫の時代と命名されているのかもしれない。この時期になると知らされる出演者たちにも、 Bootsy Collinsが大勢でくるならバケット・ヘッドもくるかしらとかMY BLOODY VALENTINEや UNDERWORLDは星の下で聴く…

 上野まで

そして、最後のセックスについての考えは、病気がちの猫のようにそっと佇んでいて。それは多くの人が、「ああこれが最後のセックスであったのね」ということについての可能性を考えない。あるいはそういう危機感をもってセックスをしないから最後のセックス…

 H・アール・カオス

湯島のデリーでカレーを食べて汗をかきながら歩いて上野文化会館まで辿り着くと、劇場の入り口には救急車が回転灯をまわしながら停まっていた。それは、H・アール・カオスの舞台で使われるロープ吊りの保険のようなものだったのかと思ったのだけど、真相は…

 湯島から

人は最初のセックスについては、リボンでくるむようにして大切な場所に丁寧にしまい、語ったり語らなかったりしても、そこかしこで最初のセックスについて想い出す会というものが開かれている。しかし、それに対して最後のセックスについては、全く語られる…

中国の性的な役人

餃子を食べていたら歯が抜けた。母が救急車で病院に入り入院する。自分の病気のことよりもアルツハイマーになった父を家で看病ができなかったことで自責の念で苦しんでいたこと語り続ける。またしても、自分の感情の薄さと追いつけなさぶりを知る。病院では…