上野まで

そして、最後のセックスについての考えは、病気がちの猫のようにそっと佇んでいて。それは多くの人が、「ああこれが最後のセックスであったのね」ということについての可能性を考えない。あるいはそういう危機感をもってセックスをしないから最後のセックスは誰にも知られない世界の涯ての地中に埋まったままなのだ。誰もが、今日が最後の一日となることを知らないように。だけど、そのうちの半分くらいは、片側だけが「本当はこれが最後のセックスになるのだけど言えないわ」てなことを自覚していたりするのも。ねえ、残酷ではありませんか?とまあ、あるいは、そんなことは考えるに値しないことだという、あなたの考えも尤もだ。さらに、どうでもいいついでに、デスノートのように死神と何かの契約をすれば、最後のセックスまでの回数が頭の上に表示されたとしたら、なんだか素敵だと思う。最後の一回、二回とかると、身も知らない人にやさしくされたりするのかもしれない。うわあ、照れちゃうな。ひとからやさしくされたことがないから。と、そんな想像だけでにやにやすることもできるわたしだ。