なにもかもをそいでみる

映画で使われるあまりに芝居的な演出を削いでいったものや。類型的な物語性や人間性を描くということをどんどんそいでいった物が観たいな。と思ったところにはまったのが、アテネ・フランセ文化センターでの「ヴァンダの部屋」をはじめとする、ペドロ・コスタ特集。「ヴァンダの部屋」をドキュメント映画と認めたくない。「骨」の続編として、ただひたすら穢れた物共が美しく描かれていて。何の説明もないくせにヴァンダのことが好きになる。好きになったまま、え。まだ「コロッサル・ユース」につづく。のか。
バンテージ・ポイント」はたいへん可笑しい。そこには人間も政治の本質も描かれてなく。ただひたすら演出と編集の力だけで1時間半を圧倒させる。あるいは米国という国は、大統領一人を守るためなら、何人でも何万人をも、あるいは世界中を滅ぼすことすら出来るのだな。ということを思い知る。
「コントロール」はイアン・カーチス夫人の手記から作られているからか、夫人からみた美しい悲恋愛映画として作られていた。イアン・カーチスだけでなくて、ジョイ・デヴィジョンみんなの容姿や素振りのそっくりぶりに驚く。あとブラジャーをしたままのセックスに代表されるような全編抑え気味の。って、ブラジャーしたままって、え?普通なのかしら?ああ、いろいろとわからない。でもとにかくみんなが真剣で道徳的な映画ですらあった。
ディズニー映画「魔法にかけられて」も驚異的な映画だった。もうディズニーは単純な道徳的で勧善懲悪な映画は撮らないらしいが。この映画自らがディズニー映画のパロデイであって、現実を夢が叶わない街だと言うし、娘にはお伽話は聞かせないと言う。よっぽど「コントロール」より反道徳的であって、それでいて最後は、「みんな幸せに暮しました」とまとめる強引さが心地いいポストモダン映画。もしも、あなたに子供がいたのなら、今は安心してこのディズニー映画を見せられます。この物語が最先端なのか最後尾なのかは全くわからないけど。