チョコ菓子の弾丸は撃ちぬけない

Shipbuilding2008-03-14

仕事中に糖分を補充しなければと思って、机で明治の板チョコを食べているときに限って、隣の彼は亀田製菓の米国進出について語りながら柿の種やポテトチップを食べる。そのとき、わたしの脳は糖分のことしか考えられないので柿の種の匂いすら嗅ぎたくないのだけど、板チョコを食べ終わるころには、塩気の菓子を食べたくなってしまう。ので、チョコを食べ終わった後に柿の種やポテチを彼から食べさせてもらうことは、わたしの中では全く問題がない。しかし、だからといってチョコがかかったポテトチップや柿の種の菓子は全力で許せない。いっしょに食べたいわけではないのだ。わたしは、別に食べたいんだからね。と、仕事中にわたしの口に柿の種チョコを入れようとする彼の指を噛む。なんでも、まぜればいいってもんじゃないんだから。何でも塩味の菓子をチョコでくるめばいいってもんではない。何でも辛くて熱いものに生卵を乗せればいいってもんではない。本来の味が損なわれてしまう。ラブホテルでカラオケやゲームをやるんじゃないっていうか、置くんじゃない。何をしに入ったのかわからなくなる。って今の自分の範疇外のことを思うのは。
R18 LOVE CINEMA SHOWCASE っていうのを東中野でいくつか見て。これは純粋なピンク映画ではないのがもったいないと思ったから。そもそもピンクの四天王や七福神と言われた人達の作品の頃から、それは純粋なセックスを中心に捉えたピンク映画でなかった。濡れ場もいちおう入ってますけど、これは作家映画なんです。という感じが。日活ロマンポルノ時代にあったようなセックスを真ん中にそえた男と女映画ではなくなっていたのが、もったいなく感じたのだ。せっかくおいしい素材をわざわざ違うものでくるんでしまって、その素材が消えてしまっているような。というのは、もしかしたらただ単にセックス観の違いというかわたしのセックス不勉強さなだけなのかもしれません。近所のシネコンでの映画はアニメまで全てみつくし、もう何を見たか思い出せなくて「ジャンパー」を二度見てしまうというわたしは相当危ない。二度観ても覚えているのは、二人が勢いよく服を脱がし合う場面くらい。というのは、同じあたりで寝て同じあたりで起きたからかもしれない。タイトルが出るまで気づかなかった「いつか眠りにつく前に」はマイケル・カニンガムの脚本だった。たしかに、映画の主題よりもエピソードのひとつであったはずの、同性愛の男子の芝居と描写が一番印象に残る。マイケル・カニンガムだったのか、と知ってから何だか有りがたみが増す。ヴァネッサ・レッドグレイヴのずっとベッドに寝ているだけの芝居がこわいくらい凄い。
渋谷で観た「接吻」は小池栄子の顔芸にくらくらする。女優小池栄子もすごかったが、彼女をこの映画の主役にした人も凄い。小池栄子には、あの笑顔だけでなくトヨエツの記事を切り抜く場面でゾクゾクさせられてしまう。ああ、わたしも自分の記事を切り取られてノートに糊でぺたぺた貼られたい。というわたしは、いったい何フェチ?しかもわたしの記事なんて無いですから。本当は「CONTOL」を観たかったのだけど、公開前だったという、わたしはいったい何をしているのかという記念にアントン・コービンの写真集を買って鼻息が荒くなっているミーハー心を落ち着かせる。ついでにホワイトデー混雑の菓子売り場でロイズのポテトチップチョコを自分に買っては心の飢餓感を落ち着かせようと試みるが全くうまくいかないのは、しょっぱいチョコのせいに違いない。2月と3月は世界からチョコもビスケットも消えてしまえ。写真はいちおうVQ1005