パーカーとわたしの10の約束

MASS OF THE FERMENTING DREGS をよく聴いている。
パーカー好きなので、あまりよく見ずに買ってしまったパーカーは、近くに牛がいたら猛スピードで突っ込まれるように赤く、パンツをはかなくてもワンピースとして着られるくらい丈が膝まであって、下にシャツを着ていても乳首の形がはっきりわかってしまうぴったしくっきりであった。
わたしのきいている音楽ときている服はわたしの実年齢の1/2くらいの人たちのもののような気がしている。ことは前から気づいていますともさ。5月のZepp Tokyoくるり9mm Parabellum Bulletとの対バンライブのオープニングアクトMASS OF THE FERMENTING DREGSがでるのだけど。MASS OF THE FERMENTING DREGS、マスドラ目当てに行くって、間違っているのだろうね。
「パーカーとわたしの10の約束」というものがあったらば、「私は十年くらいしか着られません。だからできるだけ私を着てください。」というものが入るだろう。

実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」をみた同じ日に、映画「ノーカントリー」と舞台ピナ・バウシュ「フルムーン」を観てしまったのは、やはり間違いだった。自分でもどうして速足で歌舞伎町を歩いてまで映画館に行くのだろうと不思議だった。
ノーカントリー」は、どうしてもコーマック・マッカーシーの本をどうコーエン兄弟がやっつけているのか。と観てしまう。映画はひたすら美しく作られていた。そして何よりも原作に欠落されている物語の大胆な省略。という方法も映画にも残されていて、それがまるでコーエン兄弟の映画方法であるかのようにはまっていて、映画化としては申し分がなかったかもしれない。映画は映画であるとして。それでも、やはり小説のNO COUNTRY FOR OLD MENのOLD MENの保安官の描写が殆ど描かれて無かった。映画では唐突感がある牛の角の説明。それがこの物語の核であったのだけど。映画でも、そこは敬意を持って残されていた。それにしても、映画化が続いてもコーマック・マッカーシーの美しい小説が日本では読まれていないのが残念。
また歌舞伎町からなんで速足で歩いてまで、新宿文化センターまで行かないとならないのかしらねっ。と呆れながら、当日券が余裕であまっていたピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団の「フルムーン」。「パレルモパレルモ」は観られなかったので、どうしても観ておきたかったのだけど。ひたすら眠かった。そして、実際に30分くらい寝てしまう。勿体ないし申し訳ないというか恥ずかしい。舞台は面白かったのだけど、もう今まで観てきたピナ・バウシュ風味の踊りと、三宅純やトム・ウェイツの音楽や日本語での台詞「私がどこでいろんな言葉を覚えたかご存知?全部ベッドの中よ」や水を使った乱舞にもあまり気持ちが沸き立たず。それでも勢いよく立ち上がって拍手をする両脇の妙齢の女性に挟まれて拍手をしないでいる勇気がわたしにはなかった。