猫には余裕がないのである。生きることが、ただ全部なのだ。安吾

Shipbuilding2008-03-18

実家で、母親の身辺整理を手伝う。「わたしが死んだら」が口癖となった母から、そのときの諸々な手順の説明を受ける。母と父とわたしと猫と犬の死ぬ順序について、どの順序が最適なのか普通に語り合う。誰にとって最適なのかは考えない。いろいろな物が処分されていった実家に、わたしのアルバムや絵といっしょに、地方紙に載ったわたしについての幾つかの記事が母によって残されていた。映画「接吻」の小池栄子がここにいたよと呆れる。中学のときに書いた自分の文章を読んで、こいつの文書に負けた感を持つ。文集や卒業アルバムなど恥ずかしい物と合わせてダンボールにつめ、焼却にまわした。これで、残された自分の最も古い写真は、両頬を膨らませた会社のIDカードの写真になった。残された自分の最も古い文章は10年前のパスポートのサインになった。あるいは、それよりも誰かに書いた手紙が、どこかに残っているのだろうか。と不必要な感傷に浸ることもなく。書類の端をトントンと揃えるような軽い気持ちで、この家に残っていたわたしの感情を整理しては焼いた。帰りがけに薔薇の鉢植えを買う。薔薇好きな猫が狂喜する。写真はいちおうVQ1005