井戸の水に手をつけると必ず「うぉーたあ!」と叫びます

Shipbuilding2007-05-27

最近、何か小説を読んでいないような気がしたら、電車の中でゲームをしていたからだった。猿のように大反省。しかし、ゲームでもやり続けると、無理矢理人生の教訓を得ようとしてしまう貧乏性のわたしだ。風来のシレンで強引に学んだ気になったことは「人生は僥倖のうえで成り立っている」。という、一瞬一瞬が物凄く確率は低いかもしれない不幸の連続をすり抜けているのだということ。今、飛行機が落ちてくるかもしれないし、大地震が来るかもしれないし、産まれた子供が狼にさらわれるかもしれないし、狼に育てられた人間に羊と間違わられて襲われるかもしれない。という無限と言わせていただきた起こるかもしれない不幸にまだあっていなければ、それはたまたま連続して起こらなかったサイの目を見続けて生きられているのだ。そして生きれば生きるほど、その確率の低い不幸が連続して起こらない確率が上がってきてしまうということ。それでもわたしはかなり確率の低い不幸に遭遇しているはずなのに、いたって不幸の連鎖が止まらないのは、そういう乱数を引いてしまったからで、これはリセットでもしない限りはなおらない。いや、シレンをやってこれだけ学べたなんて、なんてラッキー。