猫を洗う

Shipbuilding2008-04-29

猫をあらう。その前に風呂場の床を洗った方がいいのではなんて考えない。猫の毛にフケのようなものがあるんじゃない。とはいうものの家猫は洗う必要がないとか、洗わない方がいいと言われているのだけど。やることがなくて、もう少し猫と深く関わってもいいのではないかしら。ということで5年ぶりくらいに彼女が泣いて嫌がるシャンプーに挑む。
猫がヌレヌレになると、あの動物とそっくりになる。あれ。あれの名前が思い出せない。ついでに自分の体も猫シャンプーで洗ってしまう。風呂場を逃げ回り捕まえても並の抵抗ではなくなるのでこちらも裸になって、股に彼女を挟んで「ちゃんとすすがないとだめなんだからっ」と耳元に叫んでは濯ぐ。大量の毛の間に指を入れて梳くのはなんとなく気持ちが良い。彼女も体が動けなくなって抵抗をやめる。お互いが頬を紅潮させて見つめあう。シャワーの栓を締めたときには、情事の後のような倦怠感と充実感を覚える。体をタオルで拭くが、ドライヤーは近づけるだけで体をすり抜けて逃げてしまう。生乾きの体のまま、家中を走り回る。落ち着けるために餌でつろうとするが、寄ってこない。走り回っては、濡れた体で床を転げるので、かえって汚くなる。なにやってくれたのよ。みたいな顔で猫から見られる。この結果をわたしは素直に受け止める。しかし結果よりもあの風呂場での愛と憎しみが一体化されたようなシャンプーのひとときを思い出す。
そう。今日のわたしの体は子猫の香りがする。

長期で病欠をしている会社の彼の部署名簿を見ていたら彼の名前がなかった。担当の人から彼が亡くなっていたことを聞いた。300万分の1の確率があたって病気になったことを嬉しそうにわれわれに話してくれた。彼が説明してくれた自分の寿命よりも、3ヶ月くらい長く生きたことになった。
週末は実家の犬を連れて公園へ行く。犬の名前を呼ばれて、犬を連れた年配人たちのグループに引き止められる。母からも聞いてた犬仲間の人たちだったが、犬の姿だけで判別できるとは恐るべし犬認識力。彼らから、今日は公園で自殺者が出たのだと、煎餅を道に落としたと同じような口調で説明される。「こんな公園で自殺するなんて迷惑ですよね」と言うが、自殺した人も爺さんだった。と八重桜に吊るされた紐から揺れる体をみた人から言われる。一人暮らしだったから、早く発見してもらおうと公園で自殺したのだろう。と、彼を何度か見かけたことがあるとか、ロープはピンクだったとか、救急車は死体を乗せなかったとか賑やかに説明をする。わたしが少し嫌がる顔をしたのに気づいたのか、亡くなった人の話は貯めておかずにどんどん周りに喋った方が、彼らの魂が安まるのだと言われた。あの木で吊ったのだ。と指さした木の根本には目立たないようにコンビニ袋があって、中に煎餅が入っていた。
犬が木の根本で鼻をならして匂いを嗅いでから腰を降ろして小便をした。われわれが帰るときにもまだ、同じベンチにお年寄のグループがいて、楽しそうに話しをしていた。小さなデイケアセンターの前を通ると、カラオケの唄がきこえ、庭越しにじっと外を見ているお年寄と目が合ったような気がした。
犬を戻した後にトイレを使うと汚れが気になって掃除をする。風呂場も磨く。なんとなく窓も掃除する。料理は適当な物を作る。昔から母親は料理が適当だった。自分の家の料理の不味さは小学校の高学年で友達の弁当を食べるまで気づかなかった。洗濯も掃除も汚れが落ちればよくて、食事も満腹になればいい。あとはひたすら働け。というのが母親の体の何処かに張り付いてあるモットーだ。昼も夜も働いて内職までしていた。彼女は自分の一生をどう思っているかなんてことは聞けない。親もわたしも上手にするということが何ひとつできない。

録画をしていた前田司郎の芝居を観る。にやにやできる自分に安心する。
映画はライラとケロロとしんちゃんと王妃の紋章クローバーフィールドとかとかそのあたりらを見た。なんて大袈裟な。とその大袈裟ぶりをとりあえず笑える自分に安心する。
少女漫画をたくさん読む。よく読むはてなの人が書いていた岩本ナオとか小玉ユキとか志村貴子とかとか。今でも少女漫画の少女漫画らしいところを「かなり面白い」と思える自分に安心する。
ライブに行く。よく読むはてなの人が教えてくれたRaidWorld Festivalに。 完璧な予習もしていたけど、アルバムでは感じられない音が聞こえて大満足。world's end girlfriendを目当てで、最初からオロオロする。envyは、横のレスラーのような人が暴れたら恐いと思っていたが、微動だにせずに音楽を聴き入っていた。そして想像以上に美しい音を聴きながら、envyこそテレビの歌番組に出ればいいと思った。出るべきと思った。monoも激しく美しくて、これもまたみんなが微動だにしないで腕組みをしたまま聞いていた。Explosions In The Sky の生音は、見事に揃って丁寧で美しかった。ギター3人が揃った姿が美しくて、あれは鏡で揃える練習をするのかしら。とか思ったり。生の爆音が美しいと思える自分にとても安心。最後に「今度はまたすぐに来るからね」みたいなことを話していたのは、フジロックだろうと勝手に思う。今年はフジロックに一人で行けるような大人になってみせる。バイクの大型の後ろに猫か犬かあるいは両方を乗せて苗場に行って一人でテントを張れて自炊までする、わたしはそんな大人になれればいい。
あ、動物の名前がカワウソであったことを思い出す。朝顔のタネを蒔いたら、すぐに双葉がでてきた。しばらく朝顔が無事に咲くまで朝顔日記を書いてみよう。かしら。植木鉢がなかったので、釜飯の釜を鉢にする。写真は下三つがVQ1005