中国とフジロックとコンドーム

Shipbuilding2008-07-23

朝顔が開いていく様の一部始終を猫と一緒に見た。普通だけどきれいな青色の花だった。気づけば花芽がたくさんできている。来週あたりが朝顔の大量日になりそうね。と猫が窓の桟につまらなそうな顔をのせて言った。
なんてことを書こうとしてから一ヶ月。自分でも自分の存在を忘れてしまうことがあるくらい、わたしは生きている感じが薄くて、何もない日常を暮らしていたのだけど。この間にはあまりにもいろいろなことがあったので、適当にまとめて書いてみる。
父親と猫が医者からもう助からないだろうと言われる。本来生き物から出る物が出なくなったり、出てはいけない物が出たりする。どちらの体にも管が刺さっている姿を見ると、生き物とはまた別の生き物が出たり入ったりする入れ物なんだな。と思いながら手を握って眺める。と、わたしの誕生日のあたりには人も猫もそんな危ない状態から生還する。そういうわけで、カメラとペンを買って猫や親の写真をよく撮ったり描いたりする。もしもあなたが入院して身近な人からよく写真を撮られるようになったら、いろいろ疑問を持った方がよい。
サッカーの試合で怪我をした人にわたしが触ると治ったという誤解が誤解を呼び、同じチームの中国人の知り合いで、癌で入院している中国人の女性の見舞いをすることになる。中学の同級生の監督からも、昔にもそんな不思議な出来事があったと言われるが、全く覚えていない。癌で入院をしている女性からは、「日本人の夫は双子の娘が生まれるとすぐにいなくなった。医者の話がよくわからない。だけどわたしは、今までも本当に辛いときは、ただじっと黙って悪いことが通り過ぎるのを待てばよかったのだから、今もそうしている」という話を双子のあやしい日本語経由で聞かされる。それからも双子の女の子に会う度に、女の子たちからは中国語を教わり、わたしは女の子たちの絵を描いて喜ばれる。
この人たちと知り合うことになったのは、まるで誰かに仕組まれたような気がしたのは、その今は双子だけが暮らしている団地は、わたしが小学生のときに暮らしていたのと同じ棟だったことだけではない。あまりにいろいろな符丁が合いすぎていることに違和感を覚えながら彼女たちが暮らす部屋の扉をあけると、部屋の中からは懐かしい中国の匂いがした。

写真は、カメラを買った日に初めて撮った写真。上の青いビニールの物体はコンドームだ。わたしは、一年に二回くらい使い終わった、あるいは使われなかったかもしれないけど捨てられたコンドームを歩いていて外で見つける。それは、ありえないと言われることもあるけど、要は意識の問題だ。UFOを見る人は何度も見たり、宝くじに当たる人は何度も当たっていることとたぶん同じことだ。あるいは使い終わったコンドームにわたしは憑かれているのかもしれない。
文章を書く気力も書く中身もない日常なのだけど、写真と絵くらいなら、毎日でも載せられるのではないだろうか。と出来そうもないことを考える。
フジロックは宿まで予約したのに、わたしのわがままで取りやめる。同じ日程で直島と倉敷、尾道旅行に。音楽旅行から美術の旅行に。行かないことに決まったら決まったで、来年こそフジロックへ行きたくなったり。フジロックの本質は出演者でも音楽でもなかったことに気づく。だけど、来年はだれがどこにどういるのかがきちんと想像できない。