ファンファーレ・チォカリーア

前の日にテレビのニュース番組にキーラが出演していて、またしてもアイルランドの裸足音楽にまいる。アイルランド人というのは、裸足で生活しているのだろうか。しかし、この日、すみだトリフォニーホール に到着したときには、キーラの演奏は終わっていた。開演時間を1時間間違える。そんな同じような数組とともに一時間遅れで入場すると、ちょうど休憩時間でロビーはしあわせそうな人の顔で溢れていた。
各地の地方税で建てられている、駅前のこれらの小屋はどこも立派でなにしろ音響がとても素晴らしい。と、映画「炎のジプシーブラス〜地図にない村から」を観て知ったファンファーレ・チォカリーアは、映画から聞えてきた音なんかと全く違う音が、わたしの耳から脳と体に響いた。最初に小さな壇上に登場するチューバやバリトン・ホルンに迎えられるようにして次々に映画でお馴染の彼らが登場する。彼らブラス・バンドの音が、ジャズ・バンドと決定的に違うのはアルト・サックスが作るあのすさまじく速いリズムにあるのではなく。文化が混ざった東欧バルカン地方の日常に根づいた冠婚葬祭生活音楽のあたりだろう。一年中世界を旅していて、そこで世界の音楽を吸収する。と言っても、やはり彼らのブラスが奏でる音楽は、東欧音楽でしかなかった。リズムは血に流れていて、メロディは肉が作り出すのだ。とか適当なことを書いてみる。彼らがアンコールの一曲として演奏してくれた「コーヒー・ルンバ」は、わたしが大好きな歌詞なので、無意味に流用。

昔アラブの 偉いお坊さんが 恋を忘れた あわれな男に
しびれるような 香りいっぱいの 琥珀色した 飲み物を
教えて あげました

やがて 心うきうき とっても不思議 このムード
たちまち男は 若い娘に恋をした

コンガ マラカス 楽しいルンバのリズム
南の国の情熱のアロマ それは素敵な飲み物
コーヒー・モカマタリ みんな陽気に飲んで踊ろう
愛のコーヒー・ルンバ

が、日本の訳詩でちなみに原詩はこうでもとうたはルンバですらなかったらしい。
詩だけでなく、曲までも星勝の手によって日本歌謡曲へと変えられてしまった。

日が暮れていく頃、闇が再び姿を現す
静けさの中コーヒー農園はそのコーヒーを挽く音に
悲しい愛の歌を再び感じ始める
それはまるで無気力な夜の中
嘆き悲しんでいるかのよう
一つの愛の苦しみ、一つの悲しみ
それは給仕のマヌエルが持ってくるコーヒーの苦みの中にある
コーヒーを挽きながら 終わることのない夜が過ぎていく

たぶん、誰かがきちんとこの日本式無国籍歌謡曲の日本語歌詞も伝えたところで、彼らがこの唄を気に入ったのではないだろうか。この唄のエッセンスのようなものが、きちんと彼らから伝わった。そしてブラス・バンドの演奏でよくしてくれるように、終演後もロビーで彼らの演奏で見送られる。いや、誰も帰れなくなる。
そもそも、ファンファーレ・チォカリーアを知ったのは、渋さ知らズ繋がりでフジロックに出演した「シンク・オブ・ワン」→「トランス・ヨーロッパ・フェス」→「映画」。だったのだけど、結局フジロックではシンク・オブ・ワンも聴けず。このすみだトリフォニーホールではキーラにも会えなかった。これはやはり。シンク・オブ・ワンthink of one@渋谷のキーラ渋さ知らズを一緒に聴け。という啓示に違いない。