それはミステリイじゃあないですから

たとえば、ネットで簡単に、松尾スズキも終わったとか、村上春樹は無駄に歳をとったとか。その素人の傍若無人な言い放しっていうのは、匿名性にあまりにも無責任によりかかっているのではないかしら?ねえ。と、可愛く疑問に思っていたわたしですが。
撤回。いや、もう無責任に言うべき。だってねっとなのだもの。と、相田みつお的に思ったりもするのは、この秋に読んだミステリィのあれやこれもやが全く面白くなかったから。というか、わたしが知っているミステリィ作家の人たちが書いているのがどれもミステリィではなくなって、どうにも演歌のこぶしだけがグルグルまわった恋愛小説になってしまったからだ。そして、この週末に読んだ真保裕一の「真夜中の神話」ISBN:416323330X「ブルータワー」ISBN:4198619182。このミスの常連の二人による最新作もミステリィではなかった。「真夜中の神話」の帯は「今なお残る吸血鬼の伝説・・神話の封印を解く旅が始まる」と大上段に構えた中身はどうだったかというと、ただ女の子をおいかける旅の物語としか言えない物で、「愛と再生のスペクタル巨篇」という謳い文句の空振りさはものすごい。中身が何も無いだけでなく、登場人物が動き回る意味がわからない。もう真保裕一には「ホワイトアウト」の面影は全くない。どうして、これで本にしてしまったのだろうと、そこまで読み手の方もまた大上段につまらながってみせたいのだ。そして、石田衣良「ブルータワー」の帯もまた「世界を救うのは、夢見る力!魂の冒険と愛の発見の物語」。と、帯を読むだけで恥ずかしくなる惹句。そして内容も荒唐無稽なSFというよりも、ファンタジー。なのだけど、まだこちらの石田衣良は、小説を書くということ。物語を紡ぐということに意味があるのだという熱を感じられただけ救いがあった。そうだ。たとえ本を広げるのが酒臭い電車の中だろうが、湯気に溢れた風呂場だろうが、狭いトイレの中だろうが、物語りに始まりが会って終わりへ辿り着くまでに、使われる時間の少しで良いから意味があるのだと思いたい。自分のことはともかく、物語に出てくる人たちが生きていることに意味があったのだと気づいてほしい。

そして、今年はどうも面白い本がなかったのか、よく思い出せないのだけど。相変わらず新潮クレストは、外れが無かった。そして、相変わらず知っている人たちの新刊も秋までの未読に追加。って、もしかしたら秋は終わってるのかもしれない。

柴田よしき 「ワーキングガールズ・ウォーズ」

福井晴敏「6スティン」 

白岩玄野ブタ。をプロデュース

江國香織間宮兄弟

原りょう「愚か者死すべし」

馳星周長恨歌

・ぽん竜田「ポンズ百景」

・アダム・ヘイズリット「あなたはひとりぼっちじゃない」

・ジュンバ・ラヒリ「その名にちなんで」

・ジョン・マグレガー「奇跡も語る者がいなければ」