彼女がわらうときはうしろを向きます

最初に彼女と出会って、いっしょに住むことになった理由から、彼女が病気になって医者にかかるようになった時のことも、なんだか、それには決められていたようなことに思えるし。普段は決して近づいてこないくせに、こちらが体調の悪いときに限って体をよせてくる。前から、どうしてときに、激しく遊んでほしいモードになって走りまわるのか。と思っていたのだけど、あれはもしかしたら、猫があそんで欲しいのではなくて、わたしが遊んだ方がいいのだと、猫に言われていたのかもしれない。

そんなこんなも。つまり人や動物の想いというものは、見えたり触れたりできる形にはなっていないけど。それらはたしかに存在をしていて。ときに、その想いというものは、他者にも働きかけてしまうのだね。とあたりまえのこととして信じているわたしにとって、映画「ヴィタール」で画面に浮かんだいろいろなものは、冷たい水に入れた粉末ソーダの素のようにシュルシュル音をたてながらわたしの中に溶けこんでいった。