執念もわたしが持っていない言葉

バッテリー (2) (角川文庫)

単行本を持っているのに、通勤電車で読むために時間が空くと文庫本を買ってしまうことがある。ということで、キオスクにおいてあった「バッテリー2」の文庫本を買い、ホームで電車が来るのを待っている間にそのあとがきを読んで強い電車風を顔に受けながら感動をした。あさのあつこの「バッテリー」は、不思議な小説だ。といっても、書かれている物語自体はシンプルな野球をする少年の話だ。不思議と感じるのは、自分にとって、この「バッテリー」のどこに感動をしているのかが、よくわからなかったのだ。ピッチャーとして天才らしい少年の言動は、鼻につくし。それと対比して描かれる弟の純真さは、小説としてわざとらしくてこれも鼻につく。そして母親や祖父ら家族と少年の接し方も、少年を囲む友人や教師の態度もいちいち、小説らしくて鼻につく。とくに主人公の巧とバッテリーを組む豪の少年への思いの強さは、大きく鼻につく。そんなことは中学生は言わないよ。みたいな意味ではとてもこの小説はリアルではないのだが、それでもこの小説で感動をしてしまい、そしてどこに感動をしたのかがわからなくて、不思議だったのだ。そして、あとがきを読んでわかった。わたしをして、この小説を感動せしめているのは、作者の執念だったのだ。あさのあつこは、なんと10年をかけて書いたバッテリーの、巧について、書ききれなかったという思いがつよくあって、去年、角川書店から文庫を出すことになって、書き直していたのだ。そのあとがきを読む限りにおいて、作家の作品への思い。あるいは、あさのあつこの主人公の巧への思いというより執念のような想いの強さを感じて心を打たれたのだ。あとがきで、これは少年の成長物語でも友情物語でもない。と断言して、もっと何か大きなものを書ききろうとしてる。そして、巧という少年を描ききろうとするほど、ページから零れ落ちるような想いの強さに咽返る。
と、最近読んだいくつかの本もあとがきを中心に。
愚か者死すべし
原りょう「愚か者死すべし」
わたしは、日本の作家でハードボイルド小説を書いているのは、矢作俊彦原りょうの二人しかいない。ときっぱり断言をするけど。大きな声では言えないが、二人は、もう若い頃の二人ではない。ハードボイルドの定義で男の生き方や、行動哲学で説明をしようとしている学派があるけど、それこそ愚なことだ。小説におけるハードボイルドとは、チャンドラーや件の二人も同意をしていた文体のことでしかない。そして、そのハードボイルドの文体を使えることこそ、技術ではない作者の物を描くという姿勢でもあるはずなのだ。というところで、チャンドラーを基準にすれば、老いてもその文体はどこまでも研ぎ澄ますことができるはずなのに、矢作俊彦には上辺だけが残り、原りょうにいたっては、もう文体だけではとてもハードボイルドの香りをかぐ事はできなくなっていた。それでも、十分に楽しめるミステリィ小説となっていたのも、あとがきで、「これからはもっとはやく書ける方法をみつけた」というくだりは、原りょうに思い入れがある読み手にとっては全く喜べないことなのかもしれない。
東京タワー

江國香織「東京タワー」
ひさびさに読んだ江國香織間宮兄弟が面白かったので、遡って読んでみたら、こっちはまさしく、正当江國香織節。99%くらいがお洒落と不倫でできている。おまけに、まだ見ていない映画の岡田准一黒木瞳のイメージで読んでしまうものだから、嫌らしさもまた二割り増し。やはり登場人物の二人の女性は対極にいるのではなく、二人のどの台詞を読んでも、江國香織の言葉の投影に読めてしまう。そしてこれもあとがきの江國香織の「恋をする者は」のくだりといったら、登場人物より格好がいいから憎すぎる。


対岸の彼女
角田光代対岸の彼女
そんなに角田光代に詳しくないからか、わたしにとっての角田光代は、誰かへの思いの強さと、そのだめさ満点の若者たちがその想いによって右往左往するような、漫画で例えると魚喃キリコ。。というよりジョージ朝倉のような。。そうだ。わたしにとって角田光代のベストは今でも「ジミ・ヒマワリ・夏のギャング」だったのだ。が、この本の「あの負け犬、勝ち犬対決」みたいな奇妙な出版社の宣伝で、読む気が削がれていたのだけど、これもまた想像と全く違った本格的な小説だった。作者がいろいろなところで語っているように、この小説は大人にとっての友情小説だろうし、家族や仕事についても自らを振り返らざるを得ないような小説かもしれない。だけど、わたしがこの小説で一番胸を打たれたのは、掃除の描写だ。掃除の仕事が決まって喜ぶところではなく、まさしく掃除をする描写。頭が空白になるということ、素手で汚れを落としたことを意識する瞬間。それらの描写はまた、作者が直木賞を受賞したときに、語った小説を書くということ。書き続けるということの執念のような強き心から作り出されたものなのだろう。と、本当にこの小説ができているゴツゴツとした強いものをわたしは感じて両手でぎゅうぎゅう押してみたら、少し手が暖かく黒くなったような気がした。