むだづかい


嫌われ松子の一生の映画を観て、映画の内容より、その後に見かけたエロキスカップルのことが気になって仕方がないのです。が、松子が遡るがごとく、語るべきことの無い私の人生もよくよくさかのぼる。どこからこうなってしまったのだろう。ということばかりでもなく、自動的にめくられるアルバムのごとく。最後にエロキスをしたとき。最後に海で泳いだとき。最後にリュックサックを背負ったとき。と、どうも進行形としてではなく、最後に・・。というキーワードで、何もかもを検索してしまう。そして度々そこに写真などなかったことに気づかされる。あの激エロキスカップルを見かけたとき、わたしはどういうわけか、最後に他人から讚えられたとき。という映像が頭に浮かんだ。それは、小学生のとき。「飯塚君(仮名)って何やっても小憎たらしい。」とか口の端で微笑まれてコンパスで太股を刺されたとき。
それはそれで。わたしの皆無といいたい能力のひとつに、会いたいと願うと、いつか会えてしまう。という秘められた力がある。その力のせいで、ローリング・ストーンズが日本に来たり、ニール・ヤングフジロックに来たり、マイケル・ジャクソンが銀座に来たりしているのだけど、何故かあまり世間に認知されていない。
それはそれで。話は、ダニエル・ジョンストンですよ。日本公開なんて若乃花貴乃花カップル喫茶に入るくらいありえない。と思っていた、「悪魔とダニエル・ジョンストン」(邦題まで決定ずみらしい)の日本。というか渋谷限定上映が決定。ちなみに結構豊富なTRAILERの、
http://www.sonyclassics.com/devilanddaniel/trailer.html から、きゅるきゅる泣くことができす。

動く Daniel Johnston に会いたかった願いまでかなってしまった。誰かと会いたいと強く願う気持ちは、もちろんせっくすをしたいというのでも。手を繋ぎたいというのでもないのだけど。その人の存在を感じたい。と願う気持ちは、やはりどこかエロイのかもしれない。しかし、なんだか残り少ない力のむだ使いなのかもしれないけど。他に使い道がみつからないのだから。
それもそれで。嫌われ松子の一生は、少しもエロくはなかった。P12というより寧ろP中年。としてほしいくらい否若者否幸福者無余裕者には、おいてけぼり感を味あわさせらる。しかし男優はみんなことごとく好みな男前。そんで江本純子がどこに出ていたのか。出る必要があったのかわからないけど。そもそもすでに顔を思い出せないことに気づく。