ばいざうぇい

「オレは奇跡なんてみたことがない」アルツハイマーの父親
父親とはあまり話をしたことがないが彼の3番目くらいにいい台詞。一番目の台詞は、一緒に中国くんだりまで出かけて友人の死に場所を見つけて「木も枯れた。来るのが遅かった」と、状況はできすぎているので省略。2番目は、彼がアルツハイマーとその治療薬で、体のどこも動けなくなったところで、「おれはもうだめだ」と数日ぶりに言葉を出したとき。しかしアルツハイマー歴も長くなった彼は今でも、周りを巻き込みながら生きながらえている。何をしようにも、彼の行動にはもう意味など何もないような気もするが、それはその息子と猫にしても同じことかもしれない。
先週末は尾瀬に行く予定だった。またレイによって体調が悪くなって中止。電車の中で具合が悪くなってしゃがみこんだら、目の前のOLに携帯を持ったまま寝たふりをされてしまった。京葉線と世間に絶望していたら、後ろからチャラいカップルに「大丈夫ですか」と席を譲ってもらった。席譲られデビュー。しかし、チャラに感謝。あれは本物のCHARAだったのかも。もう、これからは電車でチャラカップルを暖かく見守ります。降りるときにカップルにお礼を言う。というすっかり大人というか老人風情のわたし。しかし、尾瀬はやはり行きたい。もう復讐する心意気で行ってみせたい。いやこの際、席を譲るチャラいカップルの方になるのでもいい。
会社の健康診断で、採血を何度も失敗され、「血管が逃げてくのよお。」とか「血管壊した?」とか独り言なのか、言い分けなのか分からない看護婦の言葉を聞かされる。そして、「すいません」と大きな声でこちらに言ったのではなく、奥に向かって叫びながら逃げられる。暫くすると偉そうな看護婦さんに、「アッ」というまに、みたことがない機械を手首にさされて、血を噴水のごとく吹き出される。手首は出ます。出ましたわ。しかし、腕で取れなくて、足や指からとられた。ということがあったけど、まさかそっからとられるとは。
藤原新也の久々の新刊「渋谷」を手にする。その昔、藤原新也をとても好きだったことを思い出す。何度も読み返したあの本はなんだったろう。と本棚を探しても見当たらないが、たぶん「ロッキークルーズ」。藤原新也の胡散臭さ、あざとさ。なところは健在。世界を漂流してきた結果、渋谷の街やそこの少女達に今の日本を感じるという、今更的な主題のはずなのに。この人の歳や、書き手の感情を臭わせない文書が不思議。それはやはり、日本人的感情を嫌っているようで結局それこそが日本人的男子文章になるのか。