まだたべられます

Shipbuilding2006-07-01

本日の記述には不適切な記述が多々あるかもしれませんが、あまりに長いので誰も気にしないことでしょう。

眠れない日々が続くと、眠っていないはずなところで眠っていることがある。あるいは、眠ったことすら気づかずに生活を続けていることがある。今日の場合はこんな具合に。
猫が枕の上を往復しはじめ、耳元でゴロゴロと猫語で何かを囁かれて起き出すと、体のそこかしこが猫毛だらけだった。汗をかいた体に猫の毛は手で払っても簡単にはおちてくれない。猫に餌をやってはうんち掃除をする。そういえば、猫を描いた小説でごはんをあげる描写はよくあるけど、うんち掃除の描写はあまりないのではないか。映画でタクシーにお金を払わない描写が多すぎる。映画のセックスシーンでは、避妊具をつける場面を見たことがないけどみんな大丈夫なのかしら。ねこうんちも、コンドームをつけることも、可愛さやロマンチックさにくっついたところで描けるはずなのに。ストップエイズ!とAIDSのスペルを思い出しながら、いつのまにか朝の公園を歩いていた。
公園を歩きながら、ほんの少しだけいつもと違う道に入っていく。昨日会社で木村君がいきなり黒いipod nanoを取り出して、わたしの耳に「自分のボーカルの曲です」と言って曲を聞かせてくれたことを思い出す。このまま、知らないプロのバンドと言われても信じられる水準だった。しかし普段は垂直スーツ姿の木村君がラップ。しかも時々美少女声。何を目指しているかわからないが格好いいヨ木村君。ミクシィをやっていたらマイミクになってください。とすりよりたくなるくらいの気持ちがわき出る。と、いつの間にかどんどん見たことがない景色が出て、道に迷ってしまったのかもしれない。と手に汗をかく。しょせん公園のはずなのに、全く見当違いな駅前に出てしまう。まだ9時になったばかりだったが、映画「初恋」を観る。映画で印象的なのは、宮崎あおいよりも兄・宮崎将だった。映画は見事なくらいどこにも見どころがない映画だったけど、宮崎あおいが「わたし、ずっと待っていていいよね」みたいなことを彼に訊く台詞は気持ちいいわと思ったところで寝てしまう。寝てしまったらしい。というもの、そこから記憶がなくなってしまったからだ。今までも仕事が終わって気づいたら家にいた。とか、夜中に車を運転していて気づいたら家にいた。ということが何度かあったので、「日常オートマチズム」。と自分で銘々しているのですが、この言葉が世間に認知されるのには20年はかかるかもしれない。と小学校のときに「オニ(very)+状態」(使用例:今日の給食はオニまずい。)を流行らせるも、日本中に行き渡せるのに20年以上かかってしまったことを後悔する。
で、今日は映画館の「初恋」から気づいたら、わたしは家で和幸の特ロースとんかつ弁当を食べていた。おまけにクリームコロッケをふたつまでつけて。昨日は夜寝る前に、カルビーポテリッチコンソメWパンチを完食して胸焼けがするというのに。しかし、この日常オートマチズムに逆らうことはできず、和幸の弁当を完食。胸焼けを押さえるために、練乳コーヒーをikki飲み。鬼頭莫宏「ぼくらの」古屋兎丸ライチ光クラブ」と乙一「銃とチョコレート」を寝ながら読んでいると、猫が枕の上を往復しはじめ、耳元でゴロゴロと猫語で何かを囁かれて起き出すと、体のそこかしこが猫毛だらけだった。汗をかいた体に猫の毛は手で払っても簡単にはおちてくれない。そういえば、猫を描いた小説でごはんをあげる描写はよくあるけど、うんち掃除の描写はあまりないのではないか。映画でタクシーにお金を払わない描写が多すぎる。映画のセックスシーンでは、避妊具をつける場面を見たことがないけどみんな大丈夫なのかしら。ねこうんちも、コンドームをつけることも、可愛さやロマンチックさにくっついたところで描けるはずなのに。ストップエイズ!とAIDSのスペルを思い出しながら、夜の公園を歩いていた。
公園を歩きながら、ほんの少しだけいつもと違う道に入っていく。バツいちの友人が引っ越しをした街の話を思い出す。彼の仕事の関係で引っ越した場所は高級住宅街にある唯一の木造アパートで、彼の子供はその地区の公立小学校に行かせたのだが、そこの生徒の殆どはお妾さんの子供であるらしい。そこの地区の殆どの子供は私立の有名小学校へ行ってしまい、お妾さんの子供だけが公立小学校へ通うのだとか。そして父親参観日が無いその小学校のPTAの役員にまで昇りつめた彼は、人生で初のモテを経験してはいるらしいのだが。そんな彼のことよりも、お妾さんの子供に囲まれる彼の息子の学生生活を羨む。そこの学校にあるはずの、何かしら特有な規則や倫理観を想像する。そしてお妾さんだけが集まった和やかなPTAの会合を想像する。
また、わたしの小学校の同級生がフィリピンの女性と結婚して子供を3人作って離婚して怪我をして働けなくなって引っ越した団地のことを思い出した。そもそもそこの団地はわたしと彼が通っていた古い団地なのだが、今は老人と訳ありの人しか住まなくなっている。彼とわたしが通った昔は6クラスあった小学校も今は1学年1クラスで、学年が下になるほど生徒は少ない。完全な日本人の子供や両方の親がいる子供は皆無らしい。そこは、まるで日本の学校ではないような光景らしいが、東南アジア言語に堪能な彼は、またそこで人生で5回目くらいのモテを経験しているらしいのだが。そんな彼のことよりも、いろんな人種の混じった子供たちが並ぶクラスを想像する。そして近く無くなるはずの、かつて自分が座ったはずの海の匂いがする音楽室や図書室や体育館にいる彼らを想像する。また彼らが作っているはずの規則や倫理観を想像する。そして東南アジアの人々が集まる和やかなPTAの会合を想像する。と、いつの間にかどんどん見たことがない景色が出て、道に迷ってしまったのかもしれない。と手に汗をかく。しょせん公園のはずなのに、全く見当違いな駅前に出てしまう。せっかくなのでっ。と駅前の映画館で「ウルトラヴァイオレット」を観る。ミラ・ジョヴォヴィッチの髪と服の色が変わるところ以外に見事なくらい見どころの無い映画だったけど、ジョヴォヴィッチが、バイクでビルの壁を上るところで寝てしまう。ジョボヴィッチのバイクから気がつくと、わたしは、お妾さんの子供たちと日本人がいない小学校のことを想像しながら、家で和幸の特ロースとんかつ弁当を食べていた。おまけにクリームコロッケをふたつまでつけて。