しゅがーべいびーらぶ

Shipbuilding2006-07-09

なんだかんだと「プルートで朝食を」が気に入っらしく、いろいろサイトを検索してみたり使われていた楽曲を検索してみると、なんといっても you tube はすごいよ!!マサルさんyou tubeで、名曲「Sugar Baby Love」と検索をすると今は、こんなきれいなアニメがでてきておどろくことができる。
http://www.youtube.com/watch?v=8hpUQUS07hY&search=Sugar%20Baby%20Love
最後のどこか国の言葉で「ゲイの人たちよAIDSにかからないようにコンドームを使いましょう。」というどこかの機関のメッセージに思えるのだが。ここまでのゲイっぷりと、このオチは別の意図があるのか。すなおにこのアニメを見ると、「やりまくっても、運がよければ大丈夫!。」みたいに見えてしまう。
毎週末、実家に行って介護の日々を送っている。最初のうちは全力で裁縫以外の家事の「さしすせそ」をしてきた(しつけは犬のしつけ)が、介護しているはずのわたしが介護されているはずの親に文句ばかり言われる。ということに疑問をもちつつも、次第に自分の生活力が上がってきていることを感じる。ああ、介護してやるという姿勢が間違えていました。ただ一緒に生活をさせてもらってありがとう。という素直なまとめにはならない。わたしの人生の教訓で「困難な方を選ぶとややこしくなる。」ということがあり、選べるならばとにかく簡単な方へ。簡単な方へという選択をしてきたわたしだ。当然、次第に手抜きな家事となる。料理は手の込んだ手作りから、一気に外食中心へ。週末の度にファミレス放浪家族となる。しかし郊外の週末ファミレスは、老人とその子供やら暴れる子供を放し飼いにしている家族が多く、結構アナーキー状態となっている。今日のファミレスは従業員が明らかに少なく、殆どのテーブルの皿が片づけられていない無法地帯となっていた。あれだけ疲れた顔をした従業員達の顔を見ると、「もう仕事はいいですから、ゆっくり休んでください」と気を使ってしまうが、他人に気を使うことを知らずに一生を終えようとしている怒る両親を止める術をもっていないわたしだった。午後は文句を言われながら庭の芝生を刈る。そこには、誰かの小説「午後の最後の芝」のようなロマンチシズムの入る余地は無く、芝刈りという見た目が地味なくせに重労働の仕事の裁き方は、芝を無くすことか、芝刈り機を使うことだ。ということで勝手に親の財布から芝刈り機を買ってきて使ってみたら楽しかった。あまりに楽しいので、徹底的に何もかも刈ってしまう。雑草も芝も花も植木もなくなった庭を見ても何も感じない両親は、また二人でテレビを見ながら喧嘩をしていた。子供の頃から一瞬たりとも両親の仲むつまじい場面を見たことがなかったわたしは、もう少しそんなことを教訓にして生きていこうと思ったはずなのに。結局のところ仲むつまじいどころか、家族も作れなかったが。と、自分の家来のように思われているチャコ5歳♀犬に体当たりを食らわせられると、こんな感じで大丈夫ではないかと思う。傷ついたふりだけが上手くなってはいけない。ああ、それでも。食べ放題で目の色が変わってしまう姿を誰かに盗撮されて携帯の待ち受け画面に使われたい。あるいはわたしの趣味の地下鉄でのセクシーポールダンス動画をPCのスクリーンセーバーに使われたい。もうセクシー洗車のシーンでもいいや。とかとか想像したついでにまたもやyou tubeで、セクシー洗車を探して興奮しようとしたら、ゾンビのセクシー洗車を見つけて満足をした日曜日だった。
http://www.youtube.com/watch?v=-vScJyGX3xU&search=Zombie%20hotties

という何もかも適当な作り話は全て蜂飼耳の 食うものは食われる夜 とか、

ひとり暮らしののぞみさん

ひとり暮らしののぞみさん

の感想だ。谷川俊太郎の適当な帯によると、一にはじまって一に終わる絵本らしいけど。