すきならばすってみせて
わたしはせっぱつまってくると、小説なんか読んではいられなくなる。しかし、その切羽つまり具合に多少余裕がでてくると、結構つまってはいるのですけども本なぞでも読もうかしら?というそこはかとない余裕ができる。そのせっぱつまり具合というものを具体的に説明すると、それはたとえば、幻の蝶の探索のため一人でアマゾン奥地を歩いているときに毒蛇に噛まれて動転してしまい持っていた鉈で自分の足を切り落としてしまったとき。それがせっぱつまっているとき。で、毒蛇に噛まれた足を冷静に自分で吸いついて毒を懸命に出している最中。ここまでくると多少余裕があるかもしれない。ただし、昔からそんな毒蛇に噛まれたあとを吸い出すという場面を映画で見ていて思うのだけど、口が毒で痺れたりしないのだろうか。いや、映画での一番の疑問で声を大にして言いたかったことは、格闘場面でよく一本のナイフを二人で奪い合ったまま一人が相手に覆い被さる。という場面があって、そうするとたいてい下の方の人が瞳ぎりぎりまでにつけられたナイフをなんとかこらえて形勢逆転をしてしまうのだけど。最近ではM:I-2にもありました。その場面を見る度に「上の人、ナイフを落として!手を離せばいいだけなんだからア!」と映画館で叫びたくなります。って、もはや何の話なのだか何のたとえ話だったのかを書いているわたしですらわからなくなってきましたが。映画で星をつけて評価している人たちの中で、アニメとピンク映画が入っていて、それを当たり前に普通の映画と同じくとりあつかっている人を見ると安心をする。と、同じようにして、最近は、イラクサ (新潮クレスト・ブックス)やわたしを離さないでやレアード・ハント インディアナ、インディアナ的なものばかりでなく。サマソニ的なライトノベルを面白いという人たちを横目で見ては誘惑に負けてアマゾンで大人買い。
とつまりここまでの数行を使ってたんにライトノベルデビューの言い分けを書いていたらしいよ。でも面倒なので感想を書かないような気がするので、読む前に大人記録。海猫沢めろん、おかゆまさき、本田透、谷川流、清水マリコ、白倉由美、中村九郎、とみなが貴和、友桐夏、桜庭一樹、風見周、成田良悟、桑島由一、貴子潤一郎、古橋秀之、川上稔、鷹見一幸、高野和、豪屋大介、桜坂洋、高瀬彼方、海原零、あざの耕平、高殿円、結城充考。もちろん、秋山瑞人や今野緒雪や時雨沢恵一は普通に好きなので、彼らが毒蛇に噛まれたらオニ吸い出せます。
7月13日のお知らせとして芥川賞や直木賞があの人たちだったことではなく伊藤たかみの妻が角田光代だったことでもなくて。「石川亜沙美さんが結婚RYOJIさんと」っていう記事で石川亜沙美さんが誰だか知らなかったけど、あらあら亮二はまた父親になったのねな。と感慨にふけることができるわたしは、感慨までも若作りしすぎなのかもしれない。そしてついでに、今年フジロックに挫折して初サマソニなわたしが楽しみなのはスクリッティ・ポリッティでもグループ魂でもPUFFYでもくるりでもKEANEでもフレーミング・リップスでもなくマキシマムザホルモンかもしれない。マキシマムザホルモンへの感情は「ほほえましい」です。この間、朝の京葉線の車中でマキシマムザホルモンの楽譜を見ながらチョッパー指を震わせてそろって頭を動かしている高校生カップルを見てはああめでたきかなと暖かい気持ちになれた。だからわたしは、柏手を打ってから常に持ち歩いているダルマに揺れる電車の中でなんとか筆ペンで目玉を入れたのでした。