プルートで朝食を は今年唯一のガーリッシュ映画

と、ガーリッシュの意味がわかってないんだけど。映画は、もうありえませんから。というくらいの男達がゲイの主人公キトゥンの魅力にやられる。正確に言うと、キリアン・マーフィの芝居にやられるのだ。あんな眼で、あんな顔つきで、あんな体のくねらせ方で近寄られては、それはまいってしまうだろう。バイク野郎やアイリッシュロック野郎や手品師やヌイグルミで踊る男やブライアン・フェリーや彼をゲイのテロリストとして逮捕した刑事までが彼にメロメロになってしまうんですよ。もうそれはそれでありえるのは、彼の芝居であって、だけどそれはもはやゲイのものではない。このありえなさを実現しているのはゲイだからいいか、というファンタジーにしてしまっているので、本当の切実さが欠けてしまっている。
それでも、この映画のキリアン・マーフィの恋する目つきを見るだけで、尊い時間を映画館で過すことが出来る。だけど、現実はこんな目つきは日本代表のように90分ともたないのだ。だから、そんな目つきのうちに終わった方がいい。この映画で何人かが死んでいく描写や映画の終わらせ方の突然さがとても美しかった。