アリステア・マクラウド 「彼方なる歌に耳を澄ませよ」
- 作者: アリステア・マクラウド,中野恵津子
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2005/02/26
- メディア: 単行本
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この小説を読む者は冒頭で静かな物語の中にいきなり放り込まれる。ただその放りこまれ方があまりに静かなので、何が起こっているのかどういうことなのか分からないことにも気づかないはず。そしてその背景がよく見えないままに読み進めていけば、いくつもの登場人物達の物語を知ることになり、彼ら一族の長い歴史も知ることになる。この丁寧に折り重ねられた個人のエピソードと彼ら民族の歴史がこの静かな物語を音叉として静かに反響しあっていくことにゆっくりと気づいてくる。
わたしにとってある限られた小説を読むと必ず小説を読むことはどういうことなのかだとかいい小説とはどういうものなのかだとかはたまた登場人物の生と死から自分の生と死はどういうことなのだろうと答えの出ない余計なことを考えてしまう。この小説で繰り返される一族の歴史、わたしのおじいちゃんから兄妹ら家族の物語。何度も何度も情が深すぎた一族が繰り返し描かれる。またそれは人だけでなく海を渡ろうとする彼らを追って泳いでくる犬にまで同じ血が流れている。そして最初は帰らそうとする叫びが次第に「がんばれ、こっちだ、あきらめるな!できるぞ!ほらまってるから」と叫びを変えてしまう彼ら。わたしは過分にこの場面の犬に感情移入をしてしまう。わたしにもがんばり過ぎるところがある。だめだと言われてもついていって気まぐれでこっちに来いと言われるともう飛びついては顔をなめてしまうはずだ。
だけど現実はがんばりすぎて酬われないことを何度も繰り返して知ってしまうと次第に心も体も動かなくなってくる。そういえばわたしの家には写真のアルバムがない。子供の頃から親の若い頃や結婚した頃の写真がなかったことに気を使って理由を聞くことができなかった。自分の子供の頃の写真で覚えているのは親戚の家で見せてもらった一枚。何故かセーラー服と水兵帽をかぶったわたしの両腕を隠すようにして持った父親が露骨にカメラを嫌がって煙草を銜えたまま横を向いていた。そういえば父親の吸っていたチエリーはまだあるのだろうか。家族と旅行をした記憶もなかったが、年老いた父親が昔の友人が死んだ土地に行きたいというので一緒に行った中国。ただいまだにあれは本当の話なのか父親の幻想につきあっただけのかわからない。6畳一間のアパートから公団の2DKに引っ越したときの誇らしげな父親の顔。辺鄙な場所に庭付きの家を未だに払い終わらないローンで買ってしまったときの開き直った顔。と父親の選択はことごとく間違えていたのかもしれない。どうしてそんな選択をしてきたのかは会話が成り立たない父親にもう聞くことができないし、会話ができたとしても聞かなかったろうけど。というわたし自身にはついてまわるサーガは何もなく、それでもそれがきちんと終わりを知ることが出来るということに安心感を持ってしまうのは間違えているのだろうか。とわたしの選択こそ間違いだらけだろうしあるいは何も選択すらせずにここまで漂ってしまっただけなのかもしれない。そんな心もとない大人風情のわたしはだからこそ。いつもきちんとした姿で立っているアリステア・マクラウドの文章を両手に力を入れて読む。
んもうこれって一体何について書いていたのかわからなくなってきたので、もうエピソードや物語でなくて言葉として印象的なところを自分のためにぱらぱらと頁を捲って偶然拾えるところを拾ってみると/ゆるぎない信頼/血は水より濃し/音楽は貧乏人の潤滑油だ/おじいさんはお母さんの人生のいろんな変化をいっしょにくりぬけてきた/歴史は最後には「過去という完璧な建物」が見られる/疲れているからって世界は止まっちゃくれないの。だから早くやっちゃいなさい/情が深すぎて一生懸命がんばりすぎた/たいていの人間は、いいと思うことをやろうとするもんだ/誰でも、愛されるとよりよい人間になる・・とほんとにおじいちゃんが言うようなところばかり拾ってしまった。それから、ニシンの王様の話は印象的だった。ニシンの群はいつもニシンの王様についていく。しかし王様はリーダーではあるが彼に従うと危険な目に合う。というニシンの王様は彼の兄でもあり、このニシンの群が彼ら一族のことでもあったのだろう。いろいろなおじいちゃんの話やおばあちゃんの話はそこの場面だけで語られる言葉になっていない。また物語とは関係がないのだけどとても好きなおじいちゃんとおばあちゃんが寝ている描写を写してみる。
いつも同じ姿で眠っている二人の姿が見えた。おじいちゃんはベッドの外側のほうにあおむけに寝て、少し口をあけ、右腕を伸ばしておばあちゃんの肩にまわしていた。おばあちゃんは頭をおじいちゃんの胸に乗せていたが、右手は夫の股間へと伸びているのが毛布の輪郭からわかった。二人はおたがいを励まし支えあってきた。新しい知識を得るとすぐに教えあった。そして自分たちの生き方に自信をもっていた。
とくに、信頼しあった寝姿の描写のあとで、「自分たちの生き方に自身をもっていた」というところが好き。この小説の本質は、心を打ついくつものエピソードでもなく、また複層的に語られる小説技法などでもなく、アリステア・マクラウドがコーヒーの入った魔法瓶とボールペンとメモ用紙を持ってケープ・ブレトンの海を見渡す崖の上で、彼にくっついている物事を真直ぐに書いた。という姿勢そのものだ。と、やはり結局何を書いているのかわからくなりながらも、アリステア・マクラウドのことを日本で一番愛しているのはわたしであるに違いないと吐息をつきながら自己満足げに確信をする。