おなかいっぱいでくるしくてもたべつづけます

Shipbuilding2006-12-05

試験でそういう結果がでたとしても、そういう日もあるのだから。と深刻に考えないようにしていたのだけど。
さすがに良くないかもしれない。と思うのは、会社の一階に入っている有名なコーヒーチェーン店の名前が思い出せない。最近は毎日のようにその店に入り、どう考えても高過ぎて甘すぎるコーヒーのくせに白い系を注文しつつ。この店の名前は何だろうと考えるのだけど思い出せない。そして運が良ければ、仕事中に思い出しては、記念にポストイットに店の名前を書いて捨てたりする。
そんなポストイットが数十枚たまっていくこのごろ、ターミナルと呼ばれる人と話をする機会があった。朝の素晴らしさや、風の素晴らしさの話をしてもらい、いっしょに話をしているときは思いきり頷ける人付き合いの余力は残っているものの、実際のところわたしはそんなに生に切実に敏感には生きていない。
あのいまおかしんじの特集をする映画館の名前は中野ポラポラ?ポロポロ?とかとても近いところまでおもいだしながら三軒茶屋へ。久しぶりに座って聴く渋さ知らズ
何故かリハーサルという名の本番前日から入る。それが思いの他よかった。否。よすぎた。これはぜったいに本番よりもみんな熱くなりすぎてしまったのだろう。わたしが今まで知っている渋さとは少し違って、誰も彼もがありえない情感いっぱいの泣きの演奏を繰りひろげていた。
が、そんなリハーサルでの感動は、リハーサルでしかなかった。やはりリハーサルは本番のためのリハーサルだった。
わたしは何度も何度も、このまま終わらなければいいのに。このまま時間が止まればいいのに。このままこの建物が崩れてしまえばいいのに。と祈る。しかしそれでも、演奏は続いてしまう。
はじめて聴く曲がとてもよく、ゲネプロでは、はっきりと拝めなかった巨大な生き物のような風船がステージ後方から客席の頭上へやってきたときは、息が止まりそうになる。その銀色の六つ脚の生き物は光にあたってそれはそれは見事な金色に輝いていた。そして、共感覚だけは衰えないわたしは、それまでの渋さ知らズの疾走感のような深い紺のイメージから、うちのめされるような美しい金色に苦しくなる。そして、そんな祈りも虚しくライブは終演に近づくにつれ、またしてもいつもの不破さんはステージの舞台も客席も動かしているのだなあ。と口をあけてみんなといっしょに手を叩く。
そして、わたしの人生には渋さ知らズが必要だなあ。という結論を出したり。
rottさんが渋さのレギュラーになればいいのに。とか、いまおかしんじのレイトショーの特集を上映するのはポレポレ東中野ね。とかそういう方向への関心だけは今でも強いらしい。そしてわたしはまだ、毎日飲むホワイトモカのお店の名前が思い出せない。