わたしいまめまいしたわ

Shipbuilding2008-02-03

仕事中に施設から父の意識が無くなったので病院へ行ってほしいという連絡があって、説明された病院をネットで探して早退した。そんな似たようなことが去年だけでも数回あったのだが、今度の「痛覚がありません」という本格的に聞こえる説明に、今度こそなのかと思い、電車の中で「吾輩は猫である」を読みながら、喪主の挨拶の言葉をのんびりと考えたりして病院へ着いたところ、「さすがに今度は自分でもだめだと思ったよお」と、まともな対応と妙に説得力のある三途の川の説明を父は快活に話していた。結局このまま帰ってもよいということになって、施設の人が迎えに来ると、普段は待遇に怒っている施設の担当者に対して、「すいませんすいません」と謝りながらまた施設に帰り、わたしも「そのまま帰っていいよ」という期待した言葉を貰えずに会社へ戻った。会社を抜け出した時間分の半日休暇まで提出させられ、結局は終電に乗りながら、この歳でようやく「吾輩は猫である」を最後まで読み通した。猫の想像していた可笑しみの無さぶりと想像できなかった終わらせ方に驚いた。漱石に似た感触を一番感じるのは町田康だけど、町田康が猫についての小説を書かないのは、「吾輩は猫である」がすでに書かれているからで、而して保坂和志の小説は読めないのだ云々と何かに書いていたことを思い出して町田康のたぶん読んでいないはずの猫ではない猿小説かもしれない「けものがれ、俺らの猿を」を読む。猿は想像を遥かに越えた可笑しみの連続と圧倒的な終わらせ方にまた驚いたり、この構成もまた古典落語だなあと胸から白い線伝いに志ん生を聞きながら思う。
それから、もう一度喪主の挨拶の言葉を考え直して、墓石には父の最後の質問「俺はいいひとだったのか」を彫ってもらうことに決めた。