「おそいひと」にぜんぶ

同じポレポレ東中野で上映している「おそいひと」は気になるけど、なんか面倒くさい映画?でも、せっかくだから見てみようかと。せっかく人間の本領発揮をして、久々の自分二本立て。そして、そんな軽い気持ちで降りて行った階段をものすごい重い気持ちで上ることなってしまった。わたしは、生まれてこのかた、泣いたことがない。誰が死んだときも、この先誰が死んでもなかないだろうし、産まれてきたときも泣かなかったという、違う意味で危なかったわたしの人生。それが、たかが映画ごときで、体をぴくぴくささせて、涙ぐんだ。たぶん涙はでていない。そういう塩分はわたしの体にはないので。しかし、こんなふうに体が反応してしまったことはない。それは、何だったのだろう。どういう成分がわたしをうちのめして、体を震わせたのだろうと考える。

予告編はこれだけど、予告編ではこの映画のすごさに全然おいついていない。
映画は、予告や予備知識から想像していた構成とは全く違って。ある意味お洒落でポップ。音楽監督のworld's end girlfriendの仕事ぶりも大きい。今となってはworld's end girlfriendの音楽以外は考えられない。北野武久石譲ピーター・グリーナウェイマイケル・ナイマン。D・リンチとアンジェロ・ バダラメンティ。のような。そもそも今となってはSinging Under The Rainbow は、この映画のために作られた曲のようにも思える。この映画のラストなのだ。ラストにみんなが誕生日を祝う。住田さんが戻ってきたところ。彼の姿を見る。そこにworld's end girlfriendのSinging Under The Rainbowが流れて。わたしは、体が震えて止まらなくなる。その理由が自分でもわからなかったことを。悲しいわけでもなく。事件が解決したわけでもなく。このカタルシスが何なのか、誰かに説明してほしくて息が苦しくなった。わたしの何もかもが壊れてラストに打ちのめされた。そんな感じを無理に思い出すと。タルコフスキー映画のあれやこれやのラスト。ヴィム・ヴェンダースのあれこれや。曽根中生「天使のはらわた 赤い教室」の。園子温自転車吐息」の。マーティン・スコセッシタクシードライバー」には、似すぎていたかもしれない。俯瞰で高速撮影のカメラが移動して。
それはやはり、そこに写っている全てのものたちが美しく強く恐かったからなのだろうか。いまだわたしは、このおそいひとたちに、ぜんぜんおいつけやしない。