性的に正しいへた文字と性的に正しくないかたわ萌え

Shipbuilding2008-02-28

若手とは程遠いわたしはホワイトボードに文字を書くなどという半端な行為をしなくなっていたはずなのに、何かの間違いで殆ど初対面の人前でキュウキュウと文字を書くことになる。人前で唄うのと文字を書くのだけは、その下手さゆえ自我が崩壊してしまうくらい恐ろしいことになってしまうので。これは、もはや文字ではない図形として描く。大胆なトンバ文字のような物として認識してもらう説明に変更して爺様達を呆気にとらせることに成功。という勝手な高揚感に浸っているのも束の間、今度は仕事ができる風スーツの8cmヒール青眼鏡女性がボードに文字を書く場面となる。そして、書く字がものごっつう下手。その下手さで平均年齢50歳を越えていた会議室を見事に静寂に陥れた。そしてわたしは「文字が下手な女性は性的に正しい」というテロップが、会議室に流れたのを見た。ついでに願い事をみっつした。

いつに無く一生懸命書いたおかげで、わたしが書いた映画「おそいひと」の感想は、いんたーねっつのいくつかのところにリンクが貼られていた。何より、ご本人の住田さんにお褒めのことばをもらって、リンクを張ってもらえたのはとても嬉しかった。ただ、わたしも前から知ってはいたゲーム「かたわ少女」の紹介サイトにリンクが貼られていたのには、とても嫌な気持ちになる。ここでの紹介ぶりは障害者の少女に萌えるということを正当化したいのか、小人プロレスや障害者プロレスから、全く論理の繋がらないまま「おそいひと」の一般公開が遅れたことを嘆いてみせて、ついでにわたしの「おそいひと」の感想にまでリンクが貼られていた。映画「おそいひと」を、そしてわたし自信までをも辱められたように感じた。ここでの紹介は、障害者の少女に対してただ好奇な視線を持っているだけなのだ。
とはいえ、またそれはわたしが文字の下手な女性に感じた性的な正しさとどれだけ違うのかとも思ってしまうのだけど。
この辱められ具合をわたしはよく知っている。わたしは、正しい人の感情の起伏を持っていないので、泣いたり怒ったりすることができないから、ごくたまにこの辱め感を持ってしまうのだ。と嘆いては、被害者ぶってあなたに辱めを受けたことをわたしはまた思い出す。そしてこれからも思い出し続けてみせる。
そしてまたもや、映画「おそいひと」のことを思う。住田さんが介護の女性に「普通に生まれたかった?」と訊かれる。そんな風なことはいろいろな言葉を変えて、わたしも言われてきたのだ。おそらく言った本人も気づかないような言葉で。いっそ、こんな直接な言葉の方が清清しい。そして泣くことも怒ることもできなかったわたしとは違って住田さんの「ころすぞ」のなんて、性的に正しい言葉だったことか。また、この映画の映画文法的に優れていたのは、この「コロスゾ」の相手が、「普通に生まれたかった?」と訊く介護の女性に実行するのではなく。住田さんと正しい関係を気づいていたはずの男性介護士に向けられたところだ。住田さんを大切に思っていた人を殺さざるをえなくなってしまったところには、映画的に正しい狂気が美しく描かれていた。