ドーナツに穴なんて開いていません

Shipbuilding2008-04-12

生まれつきわたしは洗濯物を畳むのがかなり苦手。いまだかつて一気に畳みきったことがない。必ずたたんでいる最中で挫折する。洗濯物の山が猫の寝床になる。という自分への言い訳でそのまましまわずに放っておく。さらに部屋のすみに押しやって布団をひいたりして、意識から洗濯物の存在を消す。そうしているうちに着る物がなくなるので、その山から服を取って着ることになる。という負のスパイラルから抜け出すために、洗濯物をいっそ取り込まないようになる。外に出したままの物干しから服を着る。毎朝外で着替える。気持ちがいいのと辛いのと半々くらい。そしてそれは同じことなのかと。
生まれつきわたしが甘い物を好きなのは、子供の頃、麦茶に砂糖を入れたものを毎日飲んでいたからなのかもしれない。毎朝会社でコーヒーとドーナツを食すこのごろ。するとインド人がシュークリームを持ってやってきて、キャラメルマキアートが苦いと言って砂糖を大量に注ぎ足す。どうしてドーナツに穴が開いているのか、はたしてあれは穴なのかという知識のひけらしあいをする。もちろん、われわれはナアナアの仲なので「ドーナツの穴は単なる空間として見るべきであり、ドーナツに穴があいているわけではない」というあたりでいつも意見の一致をみる。ドーナツを食べてしまった瞬間、ドーナツの穴は消失する。この消失にこそ、ドーナツ空間の特質と、ドーナツそのものの本質があるのだ。
生まれつきわたしは奇妙なところで引き運があると感じる。5,6年前に見た映画「手錠」の1シーンが忘れられなく。いつまでもその映画の女優さん、佐々木日記佐々木日記さんは何処へ。と呟いていて歩いていたら、ご本人のサイトを発見してしまう。今は結婚をして育児をしているということを知って勝手に安心。はあ。または、執念でカードを引いてしまうわたしの引き運に感心。いや、驚くベきは執念の方なのやもしれない。そういうことはよくある。そういう、だからどうした的なことばかりに人生の幸運を使っているので、なにひとつよきことには結びつかない。このよきことの消失にこそ、わたしの人生の本質を見いだす。