あさがおにっきその1

Shipbuilding2008-05-03

朝顔朝顔らしくない芽。葉も茎も緑というより茶色がかった色でちよっと恐い。大丈夫なのだろうか。
猫がよく洗面所にとじこもっている。夜に家に帰って猫がいないので探すと締められた洗面所から「んもう!」という感じでひと啼きして出てくる。おまけに水道の水が出しっぱなしであったりするので、蛇口を開けっ放しで扉も開けっぱなしで出かけてしまうだらしない自分を自分で叱っていた。わたしが扉を開けたままにしてしまったものだから、中に入った猫が誤って扉を押して出られなくなて一日中辛かったろうね。ごめんよ♀ねこ。
と思っていたら、風呂から出たところで、猫が自分で扉を中から押して締めているところを目撃。さらに洗面台に飛び上がって、こいつは蛇口を押して水を飲み出す。自由なやつめ。と、こっちも持久戦を覚悟でお風呂用雑誌を読んで♀猫の行動を観察する。と、ねこは洗濯機の上に飛び乗り、洗濯カゴに入れっぱなしになっていたわたしのセータやパンツの中に潜り込む。そういうわけでわたしの洋服や下着やわたしの体のどこもかしこもが猫の毛で被われているのだ。
テレビの3CHで梅若六郎プリセツカヤボレロを見る。リハーサルとかから見ていて背中がこそばゆい恥ずかしさのようなものを感じる。本番のマイヤ・プリセツカヤが登場するまでは、それなりに見られたかもしれない。和楽がボレロと意外に合うのだということはわかった。
数日前には勤め先から歩いて行けるところにある月島の「TEMPORARY CONTEMPORAR」で神村恵を見ていたことを思い出す。クラシックよりも人の体の予期できない動きから人の原初的なモノ。あるいは人イゼンのようなモノゴトをわたしの細胞に思い出させしむことに遭遇したいのだ。わたしは。と、思いの他静かであった、神村恵「ソロ+アルファ」を見ていたときも考えていた。
雑誌「美術の窓・新人大図鑑2008」に見とれる。面白いわねと思った人をネットで検索するとたいてい、その人の絵を探し出せるし、HPまでできていたりする。諏訪敦さんは新聞の挿し絵を描いているくらいだから、もう立派なサイトが。で、有名なのはやはり「SLEEPERS」なのだけど。また8人の女性達の油彩とともに彼女達へのインタビューが載っている「JAPANESE BEAUTY」が、テキストの力を足されて絵画以上のイメージを貰えてとても面白い。
町田久美(http://www.pingmag.jp/J/2006/02/17/kumi-machida-ink-paintings/)も
鴻池朋子http://commonsphere.jp/feature/interview/kounoike/01_01.php)も
一度みたら、なかなか見続けるのをやめられなくなる。
そういえば、はてなでこっそり読んでい人の絵もとても好きなのだけど。リンクは遠慮。と、一日中、いんたーねっつであれこれと絵を見ていたら、画家さんたちがまた結構ブログのようなものを書いていることを知ったりする。そこまでは知らなかった方がよかったかもしれぬ。
オブ・ザ・ベースボール
円城塔の「オブ・ザ・ベースボール」は、それはそれは円城比150%くらい読みやすく。いちおう、そこで起こっているらしきことについていける。なんだか井村恭一「ベイスボイル・ブック」の続編なのかオマージュなのかというくらい感触に似た物を感じる。しかし、そちらには人がいて熱帯のどこかの土地があったのに対して、円城塔の小説には今回も人も土地も存在感がない。ただ、出来事が連なり、ベース・ボールチームでありレスキューチームである彼が走り出し、落下者をバットで打ち返す場面はおもしろいとさえ感じてしまう。そしてファウルであったという結末。これが、構造美なのですか、現代文学なのですか。奇麗な箱に入れられて、柵で囲まれて展示された何かわからないキッチリしたモノ。という感じで。「SFが読みたい」の2008年版で「円城塔は構造消費タイプで伊藤計劃は装飾消費タイプだ」とお互いに説明しあっていることにはとても納得。黄色い本「Self-Reference ENGINE」にもう一度挑戦しようと思ったものの、今や雑多な物に埋もれてしまって見つかけられない。だいたいあの辺りにあるだろうことはわかるのだけど。
わたしは何につけ、そういう状態にしてしまうのかもしれない。