一口吃不成胖子


朝顔は、かなり蔓が伸びてきていたので、ようやく棒を探してきて鉢にさす。この棒って何て言うのだろうか。あのカレーが入っているランプみたいなのの名前がわからないのと同じくらい気になる。仮にここで「ささえんぼう」と命名します。で、その棒を鉢に差すやいなや「ささえんぼう」につるがどんどん巻かれていき、わたしと猫が見守る前で30分くらいかけてクルクルと3,4周りくらい巻きついて止まる。朝顔から「おそいよ。んもう」みたいなため息が聞こえた。食虫植物のごとく植物は、その気になれば目の前で動いてみせるのだと猫とともに教えられる。

ベニサンピットで芝居を見るときは大抵森下駅近くにある、とある有名な蕎麦屋に行く。東京一とか評判な老舗の店なのだけど、なかなかその良さがわからない。何でも最初はわからなくても良さがわかるようになるには何度か試さなければいけない。というのは、中学生のときにボブ・ディランの初期のアルバムを何度聞いても念仏のようなメロディにしか聞こえなかったのを、歌詞が面白いというだけで何度も聴き続けていたら、とつぜんその音楽全体が言葉と共に豊かな表情に聞こえてきましたよということからの教訓だ。で、そんな無茶なことをするはずがない同級生の前で「Freewheeling」のアルバムをかけながら、そこに広がる景色は実は観察をする人によって全く違うものに映るのだ。という自分でもよくわからなかった「相対性景色論」という夏休みの自由研究を発表をしたことに端を発する。
そういうわけで、ボブ・ディランの言葉や音楽を親しんでいる人が住む人たちが創り出されている国の景色は、単調な念仏にしか聞こえない人が多くいる国とはまた違った景色に見えてしまうのだろうけど。また、音楽や小説らに広く接して親しんだからといって、景色が違って見えるんだよなんて嘯いたからといって、その人の生活が豊かになったり幸せになるわけではないし。それどころか実は、どうやらそれはまた逆であるらしいというのもまた大切な話なのだけどまたまた別の話。
で、その有名どころの蕎麦屋をはじめ高級料理店の味というのは、もうわたしには3000円以上はみんな高い味ということはわかるのが精一杯な味音痴だ。たぶんそれは、小さいときからジャンクフードや手抜きの料理ばかり食べていたことが原因かもしれない。なんて、そんな何もかもをも親の料理の不味さのせいにしては気の毒。母親が作る味噌汁だけは美味しかった。というのは、親戚が大量に手作りのだしの素が送ってくるので味噌汁にだけは出汁をぽちゃぽちゃ入れ続けたから。その結果、わたしの舌はだしの入らない味噌汁だけは認めないからね。という味噌汁グルメとなってしまった。また親に手作りだしを送り続けてくれた親戚が亡くなったり、そもそも親が料理をしなくなってから、わたしの前からおいしい味噌汁は消えてしまっていた。そこで市販のだしを買ってみようと思ってはじめてスーパーでだしの素やらをさがしてみたところ、そのだしの素がお高い。ということにいまさら驚く。と、スーパーの中で映画「ミスト」のラストシーンのように呆然と立ちすくんでいると、手作りだしパックという1900円で昆布、鰹節、貝柱、椎茸、煮干しが入っているパックが売られていた。試しで買うには高すぎるけど「せっかくなので」買ってみた。簡単な作り方というのが書いてあるのだけど、これが全く持って簡単ではない。それぞれの材料を空炒りして、ジューサーミキサーで粉にする。ってそんな物がないので「せっかくだから」犬を散歩に連れて行きながら、ヤマダ電機にて高機能ジューサーミキサーを3500円にて購入。また「せっかくだから」というか完全にやけになってヤマダ電機の下で売られていた宮崎産高級マンゴーをだし作りに失敗したところで美味しいマンゴージュースを作ろうと1個2000円にて購入。完全にわれを逸している。が、意外に昆布や貝柱を小さくするのが楽しくて、だしの素みたいなものが無事にできあがる。そのだしの素をザラザラ入れて、わたしが好きな大根とナメコの味噌汁を作る。こ。これは美味しすぎる。というか味噌がいらないかもしれないというくらいだしの味強すぎ!このみそ汁一杯のためにいくら使ったのか足し算はしたくない。そして、マンゴーを買ったこともすっかり忘れて実家に置いておく。
その後のだしの素は使われないまま瓶詰めにされ、その後のジューサーは人参とアロエのジュース作り機として使われ、その後のマンゴーは母親が食べられずに犬にやったけど殆ど残して捨てられたと報告を受ける。

映画「ミスト」は評判が悪いらしいけど、たいへん楽しめた。話題のラストだけでなくスーパーでの会話だけでも楽しかった。ただ、Dead Can DanceのThe Host of Seraphimはかなり反則気味。
ゴキブリコンビナート「いつかギトギトする日」を小岩で見た。彼らがここまでのことを成し遂げ続けていることに、きゃあきゃあ言いながら心から感動。ゴキブリコンビナートという芸は、その前にも後にも同類な物はない。
さいきん体の調子がどうも悪いと思っていたら、病院へ行くことを忘れていた。薬を飲むのも忘れていた。と正直に報告をしたら、「薬を飲むのを忘れると、全く飲まないことより、もっと酷いことになる」と脅される。「もっとひどいこと」と医者の真似を頭の中でしながら、今はわたしの周りの動植物らを元気な順で並べてみた。お金も愛情も望まないので、せめて同情でもいただきたい。
チケットを手にしてここまでは生きていくことになっていることたち
水族館劇場の再訪、toe VS world's end girlfriend、エミール・クリストリッツア、前田司郎のなんやら、女教師は二度抱かれる
できれば予定を入れてそこまで生きていきたいことたち
フジロック、中国語検定、中国で生活、中国で死ぬ