うつむき加減な彼女たち

Shipbuilding2008-06-08

朝顔のつるは左巻きという呼び方は正しくなく、これを生物学的には右巻きというらしい。DNAと同じであるその自然界の右巻きに挑戦すべく、つるを逆巻きにして「ささえんぼう」にからませた。朝顔からの悲鳴ともに、またもやゆっくりとつるがあるべき姿である右巻きに、わたしと猫の前で修正されて巻かれていった。今はこんがらがって棒に15周くらい巻かれている。
千駄木水族館劇場を再訪する。どこが変わったのかはよくわからず、「あいかわらず」な部分ばかりで安心する。ただ、畳席の両横が三階建ての桟敷席になっていることに気づく。ゴキブリコンビナートもそうだけど、水族館劇場も舞台や仕掛けが過剰で、そちらの方の印象だけが強くなってしまう。二度みて、主役の二人にとことん惚れました。しかしお見送りで並ばれていたときに握手をしてもらう勇気はわたしにはなく。とにかく来年も無事に公演をしてもらって、わたしも無事にあの桟敷席に身を乗り出して座って見たい。
トロイメライ ラスト.ワルツ―Secret story tour
島田虎之介の漫画をアックスで読むと、アックスの力が強くて。アックスの中の地味な漫画という失礼な印象しかなかった。「トロイメライ」も単行本でまとめて読んで良かったけど、ようやく「ラスト・ワルツ」をまとめて読んで改めて緻密な物語漫画だったのだとわかる。物語が物語に繋がっていく様に、南米の長編小説のような満腹感を味わう。

犬の写真を印刷してペンダントを作ったので、犬にプレゼントをする。あまり喜ばれていない。写真は体中で「ほんっと、やめてくださいよ」みたいな感じ。飼い主に似て喜怒哀楽がないので、恥ずかしがって俯いているだけだと思うことにする。今度はペンダントを着けているところの写真をペンダントにして、それをまた犬につけたところを写真にとって、またそれをペンダントにしようと思う。
辿り着けるかどうかわからないフジロックは、OZOMATLImice paradeが被らないのか心配をしている。あとは、ジェイコブ・ディランの生顔を拝みたし。
猫がいつにもまして行方不明になる。とにかく飛び上がって扉や蓋や引き出しを自在に開けてしまうので、なかなか見つからない。それでいてようやく隠れ場所を見つけると、また不機嫌な顔をしている。いや。食事をしたあともうんちをしたあとも彼女は不満顔が日常なのであった。写真は便器の横で「ほんっと、なんで気づかないんですかね」みたいな感じ。

調子が悪くうつ伏せに倒れて一日を過す。そんな隣にやってきてほしい時に猫はやってこないので、日向ぼっこをしたまま寝ている猫の横に行く。猫に顔を埋める。わたしは、他の猫一般は特別好きではないことに気づく。猫の体は冷めたパンのような匂いがした。とはいえ、この彼女のことだって特別好きだというわけではないのだ。といろいろなことに結びつけながら考えて自分を安心させると、わたしは冷めたパンの匂いにつつまれて気を失った。目が醒めたら、すっかり暗くなっていて鳴りっぱなしのMacからビートルズの「Across The Universe」が流れていた。
というわたしのリクエスト葉書が小林克也のFM番組で読まれるのを実家からの帰り道に車の中で聴く。小林克也を泣かすのも石井食品の詰合せを貰うことにもいたらず。句読点のつけかたとかいうやつを、わたしはよく知らないのかもしれない。と思いながら、サインペンを舐めながらわたしは適当なうそ話とビートルズのリクエスト葉書を書く。