夏は直島

Shipbuilding2008-07-28

夏の直島は別世界だった。船から降りた瞬間からありえない暑さで体を浮きだたせ、気持ちよすぎるベネッセハウスへ送られてからは、ロビーはもちろん部屋から廊下から現代美術。建物自体もまた特濃の安藤忠雄臭漂うコンクリの打ちっ放し。今回は偶然時間があったので、学芸員の方が解説をしてくれるツアーのようなものについていったのでまた楽しかった。美術作品の解説そのものよりも、動作や喋り方が人以外な動物に似て勝手に他人とは思えずに心の中で何度も「兄さん」と呼ぶ。
直島で迎えた二日間の朝とも山や海を走っては水平線からの日の出を見て、テラスからの夕日も拝む。朝の海や砂浜や山の緑は全然写真には再現できない。写真撮影禁止の館内の作品も盗撮しつつ、直島一番の贅沢品は地中美術館のモネだったのかもしれない。生まれて初めてモネの絵を見て素直に感動をしてしまった。それはモネの睡蓮の絵だけではなくて、それを取り囲む贅沢な環境や、そのモネにたどり着くまでの坂道や庭や地下道やらなんだかんだをあわせた力技だったかもしれない。と、2008年のわたしは血や汗や涙を流しながら直島を歩いて見た、美術館やらその他の島プロジェクトはみんなモネのためだったかもとすら書いてしまう。なんて書いてそういえば、直島において現代美術ではない唯一の作品がモネだった。あとほんの50年や100年たてば、「現代美術」なんて言葉の意味や価値は違ってくるだろうけど、直島にこんな環境を作ってしまったこと自体は永遠だろう。と、直島焼けした顔を猫のお腹にこすりつけながら考える。真夏の猫のお腹はバターを塗ってさましたパンを電子レンジで温め直したやつを牛乳につけたような匂いがした。







もしかしたら、いま旅行をしている場合ではないのやも。
という予感どおりにそういう場合ではないだろうと知らしめる連絡が母から入る。旅行は直島を二泊で、尾道の宿をキャンセルして病院へ。父親が入院をした病院で宿のキャンセル料の支払い方法を考える小さなわたし。父親は、いつものようにわたしが着くと元気になる。ひからびた顔で「いっしょに帰ろう。帰ろう」と言われて辛い。看護師の方がもう少しここで休もうとか言う度に頷くが、また暫くすると「いっしょに帰ろう」を繰り返す。わたしと一緒に家に帰りたがるのは父親だけだろう。と思いながら、中国語のテキストを出しながら一人で帰る。中国の方の見舞いにも行く。近所だからか父親よりも見舞いの回数が多くていいのだろうか。「あなたは中国で死になさい」というようなことを予言者のように言われる。何か中国語の成語で違う意味があるのか調べるがわからない。現代思想や文学から草花の育て方や絵の書き方までNHKのお世話になる。こんだけ生きてて、ようやく勉強を一人ですることが面白いことに気づく。もしやこれが老人化現象のひとつかもしれない。夏のとびきり暑い日は死を考えるにはちょうどいい。