バットマンのゲーム理論

Shipbuilding2008-08-04

そんなになのか「ダークナイト」はっ。といわけで、ビーチサンダル履いてペタペタと先行上映を見に行く。けど、やはりアメコミ映画を楽しみましょうかねという家族連れや子供たちがパラパラという感じの先行上映にしてはとても寂しい入り。そして、映画が始まって30分くらいで寝てしまう人もいる。「ダークナイト」とは、そういう決して容易な娯楽映画ではなく、ひたすら不親切で重厚な映画だった。
映画好きな人たちで盛り上がっている、「ハリウッド映画として最高の・・」という形容については、いやいやそこまではネ、とあげている手を押さえたくなるのだけど、SF大作映画としては珍しいドラマがある映画であったのは間違いなく、誰かが傑作と力をこめて説明していればスリスリとそちらへ近づいてこの世界の話を聞きたくなる。
ティム・バートンがひたすらゴッサム・シティをコミックとしての世界観の上に築いたのに対して、ノーラン兄弟はそれがコミックやもしくはバットマン映画であったことを忘れさせるほどのリアルな今の現実世界として描いていた。
バットマンが空を飛んで、愛車「タンブラー」が壁を壊して登場も、それはスパイダーマンのありえない世界とは異なり、常に今どこかで起きているの世界を、あるいはアメリカ自身を想像せざるを得ないのは、人間の善と悪とのきれいに隔てられない対決があって、さらにその全体を統合しているのが魅力的な悪であったからなのかもしれない。
絶対的な悪を描くことに常に夢中になっているアメリカ映画というのは、限られた映画人だけの力量でなく、アメリカ文化の問題なのだと思う。そしてこの映画でのヒース・レジャーの徹底した格好良さというのは、神懸かり的な彼の演技だけでなく、アメリカ文化が彼を作っているのだ。と熱暑の街をペタペタ帰りながら気楽に思う。
映画ではまさしく囚人を使った囚人のジレンマ的なシーンを使うところでは、ナッシュ均衡には至らず見事な協調解となったり、まとめ方においても、ハリウッド的といえばハリウッド的な法則を感じながらも、ここまでの大作を作ってしまい、ここまで『アメリカでは』興行的に大成功しているということ自体もまた、アメリカ人の世界へのメッセージなのかとすら思う。この夏、映画館で姿勢を正して見るべき映画。ただ映画館の支配人へ銃を額に突きつけて言いたくなったのは、『「ダークナイト」の上映前と後にずっとポニョの音楽をかけ続けるのだけはやめてほしかったポニョ』

今の中国のオリンピックや政治的事情についてもいろいろなことを教えてもらっているけど、また中国の現代美術については中国経済について語る人と全く違う人たちがだいたい同じ結論を語っている。ついそこまでがバブルであっだけどもうバブルは終わっているのだと。と言われつつ簡単にはじけそうで中国経済は成長しつづけているし、こと中国現代美術については、中国人が書いたというだけで何でも売れた時は終わったものの、やはり中国のアートは今でも元気がいいな。ということを「広告批評」の中国クリエイティブ特集を眺めては面白がる。
で、もはやアートというのではないと思うのだけど、その「広告批評」でも大きく紹介され、中国のサブカル的なアイドルというよりもカリスマであるらしいのが、今年23歳の田原(ティエン・ユエン)。16歳のころデビューをしたバンドが中国で注目をされて以来、ボーカリストで女優で写真家としても評価されて小説を書いてもまた評価される。とあなたはいったいどれだけのことをやりたいのかと思うけど。インタビューを読むと村上春樹をはじめ日本の小説やサブカル的文化に詳しく、海外小説や映画もロックも現代思想も、その手の人たちと全く同じ嗜好であって、たいした時間差無くそれらが中国でも手に入ることに今更驚く。10代の中国の女の子にとってもニル・ヴァーナが特別だなんて、もしかしたら日本のフジロック常連の女子と比べても中国女子のロック度は高いのかもしれない。
海外の批評家と言われる人たちからまで絶賛されている写真や音楽は今は数多な中国のネットから拝むことが出来るけど、彼女が作っているブログでも彼女自身のポートレイトや文章を見ることができる。
けどどうですか。そんなに世界が注目する写真であるのか、わたしにはわからない。賈樟柯ジャ・ジャンクー)のお気に入りで彼の彼女への賛辞ぶりというのも、演技や思想についてなのか、女性として捉えているのかわからくなるくらい最近のジャ・ジャンクーのそばにはティエン・ユエンがいる。
今年には日本でも彼女の小説の翻訳が出版されるらしいのだけど、これは売り方次第では大変なことになるのでしょうか。わたしは日本的情念入りのガーリッシュ小説というのがかなり苦手なので、彼女の小説について楽しめるかはわからない。ガーリッシュ小説という言葉も尾崎翠あたりま行くと、それなりに馴染むのですが。そんなことはどうでも、ティエン・ユエンの小説でも映画でも何が理由であってもいいから、もっと今の中国の小説や音楽が日本で紹介されるようになってくれると、わたしはとてもうれしい。

直島へ出かける前の日に歯が痛み出し、戻ってきてから歯医者に行くと、「神経抜いちゃう?抜かない?ぼくはできれば抜きたいんだけどな」とタメ口以下な訊き方をされる。そんな判断を医者から仰がれても困ってしまうが「じゃあ、抜く方向で。できれば全身麻酔のような痛みのない方向で」と生まれたばかりの子鹿の目をしたつもりで懇願をしてみる。わたしは小学校へ入るまでは家よりも病院生活の方が長かったので、様々な手術と治療をされてきた。そんなことと関係あるのか無いのか、局部麻酔でも痛みを感じることができるという体質なのだ。それで通常は局部麻酔の手術の場合も、あまりにも痛がって暴れるのでとにかく全身麻酔を打たれることが多かった。」
実のところ、局部麻酔だと想像力で痛がってしまう小心者なだけなのかもしないと考えつつも、イルカの脳がふたつあって片方の脳が覚醒してしまうので麻酔が効かないということと、わたしの貧弱な脳も同じことになっているのに違いない。とイルカ的に思うことにしている。
そういうわけで、多めの麻酔注射を打たれ、治療が終わっても顔の痙攣が止まらなくなって頭痛と吐き気が酷くなる一方で、ヒース・レジャーの顔の傷の物語を想像しながらわたしは病院の待合室で気を失ってしまい、また子供が大声で唄うポニョの歌で目を覚めさせられたので、「崖の上のポニョ」と「カンフー・パンダ」を次の日に見たのであった。(たぶんつづく)