鈴木清剛「スピログラフ」ISBN:4104487023 内容に触れています

朝から動けずに寝たまま食事をしながらそのまま「スピログラフ」を読む。買ってから一年くらいどんどん後回しになっていた本。ちょうど一年前にこの本を買った日に秋刀魚を二匹食べたこと大きな落とし物をしたことも覚えている。
鈴木清剛のあえて何も起こらない青春物語というのは、最近の柴崎友香綿矢りさら女子小説の登場で、霞んでみえるのではないかしら。とか思って頁を捲ったのだけど、そこに描かれているのはとても痛烈な物語だった。自分の体調が悪いのが却ってよかったのか、その痛烈さがとてもリアルに感じた。ここでも男二人と女一人の友情のようなそれ以上のような関係が、前半は爽やかに描かれる。そして次第にコワレテいく彼女の言動がとても魅力的でリアルでそうそうと頷いてしまうのだ。彼女が彼にかけてくる電話の話はいつも「もしもし?今って大丈夫」ではじまって
「水が出ている水道を遠くから念じて男に止めさせる。それで信じれば誰かの気持ちに働きかけられるのだとわかった」とか「世界中の母親やみな癇癪持ちで父親は意気地無し。世界中の女の子は夢想家で男の子たちは愚図だ」とか「花火があがっているあっちの風景と照明のこっちの風景はどっちが本物だろうか」とか「一秒の長さはイチと呟いて決められた」とかとか、彼女は自分と他者の境界線がわからなくなってくる。
そして、妊娠してその堕胎手術のために避妊具をつけずに体を売っている彼女に会いに行く彼もまた彼女に「ヒヒーン!」と馬の真似をして「馬に蹴られて死んじゃいな」と言ってしまう。そして彼もまた自分の感覚を喪いはじめる。
最後に彼らが電話で連絡をとって、川べりであう。会う約束をして、実際彼と彼女はほんの近くにいるようなのだけど、その彼が彼女を探す電話でのやりとりで小説は終わる。その川辺の風景と、二人の電話のやりとりがとても素晴らしい。そこで「スピログラフ」がどういうものであったのか、思い出させてくれる。そしてスピログラフで繰り返し描かれる様々の色をした円が頭の中に浮かぶ。そしておよそ4頁くらいの最後の二人の電話の会話は、絡み合っていないようでも、何かとても優しく。友達とも恋人とも違う。ただ二人がスピログラフの円のように優しく重なり合っているようにも見えた。