だからといって大人の書いた物が

ミステリィ小説は年間ベストテンの印象を強くするためなのか秋に出版される量が多い。じゃあ、このミス常連の人たちの小説はどうだったかというと。思い出せるだけで、
出口のない海横山秀夫の「出口のない海」は、ものすごい直球の演歌だった。高校野球の球児に人間魚雷「回天」に乗らせるその重ね方は尋常ではない。ただ小説としてはともかく、主人公が死を選択していく最終的な意味は個人的にはとても腑に落ちた。死ぬ理由が見つけられた人にとっては生きてきた理由も見つけられたのだろう。しかしもはやミステリィでも何でもないこの小説もこのミスに入ってしまうのだろうか。
終着駅白川道の「終着駅」もすごい。引退を考えている老やくざが絡むやくざの抗争世界を中途半端に描きながら、小説は目が見えない美少女との恋愛物語りに。それはありえませんから、と手を振る暇もあたえさせないくらいの強引さで頁をめくらせるのだけど、その強引な二人の演歌恋愛モードにはついていけない。ファンタジー小説として考え直せばいいのかもしれないけど。
百万の手 (ミステリ・フロンティア)妖怪小説はなかなかだった畠中恵の「百万の手」は、クローンの解説はともかく、ことごとく荒唐無稽で、それでいてここでも親子の問題を持ってくるのも苦しいし、何よりも高校生の主人公らに魅力が全くない。
夜のピクニックそれは、やはり評判の高い恩田陸の「夜のピクニック」にしてもそう感じた。ここで描かれる懐古的な少年少女世界は構わないし、品がいい進学校の男女の言葉があってもいいのだけど。言葉が会話が面白くない。あるいは、わたしにはきちんとした実像の人間が浮かんでこないのだ。
だからといって、セックスや殺人のことばかり考えている少年少女が面白いというわけではない。たぶん。安易に、じゃあどういう言葉が魅力的なのかというとすぐ思いだしてしまうのが、今更読んでしまったあさのあつこの「バッテリー」なのだけど、バッテリーはまたあらためて讚えたい。
小説の会話がつまらないと思うのは、漫画やテレビの作家にも負けているだろうけど、やはり舞台の生の言葉が面白い。劇団、本谷有希子の「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」は群像の小説も読んだのだけど、舞台の方が断然面白い。小説は舞台の面白いところを奇妙に抜き取られていた。わたしがあの舞台で面白かったのは、一人の役者さんの存在だったのだ。そうそう。あの人がいる猫のホテルを見に行こう。そして、自分がすきな言葉達を聞いてこよう。見てこよう。そうだ。正月から猫ホテだ。
と、その前にやはりこれから、大人計画の「イケニエの人」に出かけてみよう。ドラクエは、たぶんいつかそのうちに。