赤ん坊が松明代わりに

シンセミア(上) 
もしも、みのもんたに「今の日本を代表する作家を3人あげなさい。サア」なんて訊かれたら、きっとわたしは、阿部和重舞城王太郎松尾スズキをあげるだろう。まあ、「ファイナルアンサー?」みたいに訊かれると、また違う答えを言ってしまいそうだけど。
もちろん、写真の群像は神町フォークロアと呼ぶらしい阿部和重シベールの日曜日グランド・フィナーレ」を目的に買ったのではなくて、劇団、本谷有希子の芝居の日に舞台と同じ小説が掲載されていたものを売っていたので、買ってしまいました。という群像12月号。感想は15日のものに付け足すことは無いのだけど。ラスト、デジタルカメラを無くした主人公が、言葉だけで少女たちと関わらなければならない。というあたりは、おそらく阿部和重自身が、ロリコンの本質を知り、また彼がそれをどう伝えるかという、悪意と善意と文学と商売をひっくるめた表明文のようにも読める。
でも、この中編に限った印象では、同雑誌掲載号の本谷有希子岡崎祥久の方が読み応えがある。そして、森達也ニール・ヤング映画のレポートは映画を観られなかっただけに嬉しかった。しかし、森達也ニール・ヤング音楽と人を知らないとしか思えないが、そんなことはどうでもいい。ああ、ニール・ヤングの大きな背を丸めて弾くギターの姿が愛おしい。