愛は死ぬ

わたしは、子供の頃から自分や近しい人が死ぬことをシュミレーションし続けてきたので、誰が死んでも微塵も動じることはない。そんなわけだから猫の定吉=パスタが死ぬことも充分に覚悟をしている。車に轢かれた野良猫の死体を見ても、彼女がこうなることもあるだろうと思うし。戦車の大軍に轢かれて、死体が跡形もなく持っていかれることすら覚悟をしている。しかし、ふと避妊手術をさせてここで完璧に終わりにしてしまっことは申し訳なく思う。「勝手にそうしちゃったよ」というくらいだけど。雄と一度も交わることもなく何も残すことも無く彼女は死んでいくのだ。と猫のうんちを片づけたり猫の爪を切ってあげながらよく考える。
わたしは、人が死んでいく物語が子供の頃から好きだった。アニメでも善良な登場人物が死ぬ場面にあう度に、「それでよし。」と頷いていた気がする。登場人物が全員死んでしまうロボットアニメがあってもいいのにと星に願いをしたこともあったけど、なかなか全員までは死んでくれない。
永沢光雄の「愛は死ぬ」asin:4898152058は彼が癌を発病してから亡くなるまでの短編をまとめたもの。という帯の宣伝文の斜め読みから、彼自身の死に辿り着く症状が語られているのかと読んだのだけど。実際のところ癌を材料とした短編小説集だった。ただ小説としてはコクもキレもなく物足りない。彼が書き続けたAV女優やスポーツ選手のノンフィクションのような瑞々しさや哀しみもない。ただ、治ることがない癌となったとき、自分の仕事であったノンフィクションを選ばずに、癌を抱えた主人公とした小説に置き換える仕事を選んだことが、永沢光雄の仕事らしい。と仕事の締め方とあとがきの座談会に少し感動。
病気で会社を辞めた同僚から株のブログを作ったので読んで欲しいというメールを貰った。そこには、あと数年しか生きられない彼自信の病気のことは全く触れずに、空売で1億の利益を取るための分析や戦略のようなものが綴られていた。彼から同じメールが届いているのか、まだ周りの誰にも聞けない。彼のメールを受取った者は破裂しないポップコーンをさがしながら日経平均が下ると安堵する日々を送るしかない。