日本の景色は日本人に

美術館に行くと、それと同じか時にはそれ以上の熱気でお店をオニ見してしまう。そして今回は一世一代の買い物をした。ような気がする。作品を部屋に飾るつもりで買ったのに、そもそもわたしの家にそんな部屋はないことに帰ってから気づく。が、せっかくついでに、無理にでも部屋に飾ってしまいたい。右の写真はこの前に原美術館へ行ったときのパトリシア・ピッチニーニの作品のはず。日曜はまる一日をかけてデイヴィッド・ミッチェル「ナンバー9ドリーム」asin:4105900595を読む。朝っぱらからザ50回転ズやら日本語の煩くて熱くて可笑しい音楽を聴きながら新潮クレストの頁を捲り続けて、WOWOWミルコ・クロコップが白目をむいて倒されたあたりでようやく読み終わった。ただ絶賛されているように日本人が描いた日本。とは全く覚えずに予備知識がなくても日本の景色の描写には違和感が最後まで消えなかった。だけどそれは、「海辺のカフカ」の日本の景色と日本人の描写に現実感を感じられないのと同じことなのか。小説はポストモダンとやらの現代文学としても正しくとても立派なくせに、物語の面白さを絶やさないという力技は、わたしは何も感想を書く気がおこらない。個人的には本人や評論家の言う村上春樹の影響よりもまた村上龍の現実感がない疑似SF長編小説的だと感じたり。いや、わたしはこういう小説を読みたいのではなくて。そう、最近は行きもしない寿司の本や山の本ばかり読んで、ベタなわたしにとっての日本の風景をしみ込ませているのだ。理由はない。