あさごはんの消滅

Shipbuilding2007-05-21

わたしは毎日の通勤電車内で携帯で風来のシレンをやって、財産と命を一度に全て失うかもしれないというエッジの上を歩いている。喪失と再生の繰り返しと日経立ち読み率とディズニー浮かれ率が異常に高い混雑した通勤電車の中で携帯ゲームを続けるという羞恥に約一ヶ月間耐え、ついに99階まで到着した。駅を降りるあたりで97階だったので、そのまま家まで何もかも失うことの恐怖を感じながら心拍数を最大にあげ、猫を蹴飛ばしながら家の扉を開けたときに99階に到着したのだ。わたしは「長距離走者の孤独」好きなので、人生の数々の場面で何かを成し遂げるゴール間際で止めてしまうという癖があって、この時もゴール直前でテレビの「ミュンヘン」を見るために携帯を机に置いた。以外に長い映画が無事に終わったところで、ゲームの続きをしようと携帯画面を見てみたら電源が切れていた。電池が無くなり、セーブができないシレンはまた一ヶ月かけて忍耐と恥辱の上で育て上げた命と全ての道具のレベルは消滅していた。自分の過ちを呪いながら大きな喪失感に浸りつつも、その喪失感が何だか気持ちよくなってきた。わたしは、何もかも失いたいという願望があるのかもしれない。というわけで、わたしは小説も音楽も映画も絵でも、一部を失った人たちに心ひかれてやまない。という話は強引すぎる。