アイルケとジャッカスは何でもあり

Shipbuilding2007-01-21

愛の流刑地」はテレビ時代がとても好きだった鶴橋康夫独特の演出。過剰な光の演出。火曜サスペンス劇場での雑なレフ板をいくつも役者にあて、カメラは不安定に動く。いつも記者が犯人を過剰にとりかこみ、音楽はスキャットのような女性の声が聞こえて。という約束を映画的にずらすも、渡辺淳一の滑稽小説を見事に普通のドラマにさせていた。読む限りにおいては滑稽としか思えなかった台詞が豊川悦司寺島しのぶが発するとそれはそれで人の言葉としての力を感じてしまう。それにつけても、富司純子の親が子供について涙を流しながら語る場面は反則技だったかもしれない。ジャッカスの映画評で「何でもありでいいのか」とか「人生を堕落させる映画」とかいう言葉をこちらの映画にこそ回してやりたい。映画館でいちばん気になったのは、平日の夜に後ろの席にいた高校生カップル。あのカップルが何をしているのかを映画と同じくらい注意を払ってしまった。そして映画のあとどこへ行くのかしらなんてことを今でも気にしているわたしは何て安い人間なのだろうか。
と、千葉県民が躊躇するたかが映画のために池袋まで出かける。という苦行を「jackass number two」で行う。池袋まで出かけて一杯のラーメンを食べて映画館でジャッカスのげろ袋をもらったときは、自分でも何をしているのかわからなくなっていた。が、映画館の出口を出ることは目元が涙で濡れていた。池袋全然遠くないよ。ジャッカスのためなら毎日でも通える。jackassこそ映画館で見るべき映画。もう2007年でもっとも心が震えた映画だった。前作から無駄に金をかけた2は、しかし金をかけたからといって笑いが大きくなるとは限らない。なにしろ2でわたしがいちばん心というよりお腹を震わせたのが、ファンの手紙を読むシーンだったから。いや、今あの場面を思い出しても笑うことができるわたしは、なんて安い人間なのだろうか。