うまくいかないなら それは坊やだからサ

最近は同じ物語を小説や漫画やアニメでくりかえす。佐藤賢一の「傭兵ピエール」や酒見賢一の「墨攻」や佐藤大輔の「皇国の守護者」を漫画でも読み、墨攻にいたっては映画までを見る。というわたしの繰り返しブームは、「ケロロ軍曹」をDVDのアニメで観てから漫画を読み、すると当然のように「機動戦士ガンダム」を見直し、また漫画を読んでは、さらに「伝説巨神イデオン」まで夜も昼も徹して見てしまう。というオタク人生まっしぐらなこの頃なのである。しかし、有名な原作を漫画にして成功した例というのはあまりないのだけど、酒見賢一の「墨攻」を森秀樹は見事に原作を改編してオリジナルの着地へ持っていっていた。と、ついでに原作にあまりにも離れた着地をした漫画で思い出すのは岡野玲子夢枕獏の「陰陽師」にしたことが極北なのかもしれない。って極北の意味がもはやわかりませんが。と、さらにこのごろは漫画とアニメを繰り返すだけでなく、村上春樹のせいで同じ翻訳物を何度も読み直させられた。正確に言うと、グレート・ギャツビーロング・グッドバイもわたしは子供のころにテレビで映画を見てから翻訳小説を読むことになったのだ。特にアルトマンのロング・グッドバイは、この映画からわたしの映画監督ロバート・アルトマンと全ての映画へのおいかけとレイモンド・チャンドラーと全てのハードボイルド小説へのおいかけがはじまった。と、そもそもわたしはフィッツジェラルドヘミングウェイカーソン・マッカラーズスタインベックドストエフスキーですら、子供の頃に板チョコレートを食べながら見たテレビの映画から小説へたどりついたのだった。そんなわけで、テレビの日曜洋画劇場から翻訳小説なんかを読むようになって、柴田元幸はもちろん野崎孝浅倉久志藤本和子須賀敦子の仕事に興味が出て、彼らの翻訳小説以外の作品も惹きつけられて読むことになって。と、ここまではどうでもよくて。ここからがようやく書きたかったことになって岸本佐知子さんのこと。
岸本佐知子さんが翻訳をする小説に外れは無く、ニコルソン・ベイカーリディア・デイヴィスもなんたって、ジャネット・ウインターソンジュディ・バドニッツは彼女の翻訳でしかありえなくて、スティーヴン・ミルハウザーにしても、最初のエドウィン・マルハウスがいちばんだ。というわたしが翻訳者の名前で本を選んでしまう唯一の人でもあったのだけど。こんな本が出ていたなんて知らなかったよ。の「ねにもつタイプ」というエッセイと小説の中間のような書かれた物がとても素晴らしかった。その素晴らしさはたとえて云うと、ガンダムの中で頭がおかしくなった父親が息子のアムロの活躍をテレビをつかみながら「ガンダムをうつせ。アムロがんばれえ」という場面をみたときに「ああ。こんなのを作る人にはかなわないなあ」と思った。そのかなわなさ。と同じくらいすごおくかなわない素晴らしさ。と喩えもよりオタク℃が増しているこのごろなのであります。挿し絵がクラフト・エヴィング商會なこともあり彼らの本の感触にも近い。またよければ村上春樹を入れてあげて上の翻訳者たちの書く翻訳以外の文章の肌触りにも似ているかもしれない。また作者は「たぶん」そうではないと書いているけど、わたしはかなり「ねにもつタイプ」なのです。幼稚園のとき友人にわたしが持ってきたヤドカリを殺されたことを今でもよく思い出すし。そのくせ自分に都合の悪いことは何も覚えていない「ねにもたれても気にしないタイプ」なのです。ホワイトデーの義理チョコにお返しなんかとんとやったことがない人なのです。

ねにもつタイプ

ねにもつタイプ