2008-01-01から1年間の記事一覧
生まれつきわたしは洗濯物を畳むのがかなり苦手。いまだかつて一気に畳みきったことがない。必ずたたんでいる最中で挫折する。洗濯物の山が猫の寝床になる。という自分への言い訳でそのまましまわずに放っておく。さらに部屋のすみに押しやって布団をひいた…
会社のインド人といっしょに観たダージリン急行は面白かった。インド人もこれはインドの田舎だしあんな列車は知らないよ。と他人事だったけど、わたしは奇妙なインド人の描写に怒る彼を想像していたのに、映画で描かれるインド人もインドもおよそ真っ当で。…
一方、サモ・アリナンズのというか松尾スズキの10年ぶりくらいの再演「洞海湾 ー九州任侠外伝ー」は、ちょうど10年くらい古いという風情な物語ではあったのだけど。閉塞感から解放感。上昇志向と堕落志向。叶えられない夢とくだらない現実。神様と薬。ゲ…
きっと添削文章通信教育であれば「X」をつけられて戻ってくるような、「手を、」の「、」の位置がカワイイ。と思える人であれば、この小説はサクサクと読みめられるだろうし、いくつかの戸惑いを通り越して読み通した人にとっては、とても重要な小説になっ…
椅子に座って小池栄子の中国語講座を見ていると、猫がわたしと椅子の背もたれの間に入ってきて、ゴロゴロと啼きながら椅子の背を揉む。その振動がわたしの肩辺りに肩もみのごとく響いて快感。 中国語講座が終わると夜中の1時半。それまで寝ていた犬がおき出…
実家に寝泊まりするこのごろ。 朝、♀犬(8歳くらい)を「このメス犬め!」などと朝の挨拶をしながら散歩に連れ歩く。うんちをコンビニ袋に入れる。くせのないこの柴犬の顔が次第に好きになる。かなり好きであるのでよくのしかかる。しかし彼女は犬のくせに…
MASS OF THE FERMENTING DREGS をよく聴いている。 パーカー好きなので、あまりよく見ずに買ってしまったパーカーは、近くに牛がいたら猛スピードで突っ込まれるように赤く、パンツをはかなくてもワンピースとして着られるくらい丈が膝まであって、下にシャ…
連合赤軍を扱った小説や映画で、よかったものなんてひとつもない。特に最近の「光の雨」、「突入せよ! あさま山荘事件」はわたしにとってはひどい映画だった。だからといって長谷川和彦の赤軍映画に期待をしているわけでもなく。若松孝二の赤軍映画に期待を…
猫への薬のあげ方について、フォームでご教授いただいた方、ありがとうございました。とりあえず猫はしばらく薬なしで様子見となりました。犬猫だけは元気に動いています。 毎朝、トイレに入ると、きまって扉の下から猫の手が差し出されて、紙くずがトイレに…
映画で使われるあまりに芝居的な演出を削いでいったものや。類型的な物語性や人間性を描くということをどんどんそいでいった物が観たいな。と思ったところにはまったのが、アテネ・フランセ文化センターでの「ヴァンダの部屋」をはじめとする、ペドロ・コス…
レニ・バッソ「パラダイスローグ」。田中泯 「世界堂々でんぐり」。Co.山田うん「ドキュメント」をさくっと観たのだけど、次第に踊りばかりを観に出かけているのはなぜなんだろう。あまり話題にならなかった「ムネモパーク」が(おお。今回もひらづみさんが…
ついにわたしのような末端会社員の自宅にまで、シンクライアント端末が配られた。しかし、HDDなし端末の起動の面倒くささといったら、最先端なのか最後尾なのかわからない。 自分のここで書いた文を読み返すと、くだらなくてかなり痛い。しかし、現実はも…
猫のゲロをよく見たら、薔薇の刺が入っていた。わたしがいない間に薔薇の葉や刺を食べていたのか。と薔薇の鉢を片づける。このまま死んでしまったら、きみの墓碑名に「ある雨の朝、薔薇で死す」と書いてしまうよ。と言って、猫のあごをなでる。猫は手足を丸…
父が入所している施設で、また不条理な台詞を一人語る父に適当に頷いていたら、次第に語気が荒くなり、涙を流されてしまった。側で自分の昼食を摂っていた介護士の方が隣に座って、頷きの見本をみせてくれた。自分の食事を摂りながらでも、それはそれは、魅…
シンクライアント上のwindowsはwindowsではありません。という自分でもフにおちない説明を会社関係の女子にしてもピンと来ない顔をされたので、マリリン・マンソンからマリリン・マンソンが抜けたあとのマリリン・マンソンみたいなものだという適当な説明を…
このところenvyばかりをよく聴いている。わたし、envyな気分なの。好きになって大丈夫だったのかしら。ボブ・ディランやニール・ヤングなわたしだったのに。ずいぶん遠くまで来てしまったものだわ。来月はライブに行くことを決めてしまったのだけど。いろい…
アラスター・グレイの「ラナーク」や「哀れなるものたち」を読んで、エリザベス・ボウエンの「エヴァ・トラスト」やら厚い翻訳小説を読むのは幸せだ。家で読む小説を選ぶ基準は、ただその本の厚さだけだ。物語はときにその量だけで質を凌駕する。 しかし、た…
わたしは小学校にあがったばかりのころにテレビで何かの死刑執行の場面を見て、ものすごい恐い物を見てしまったという記憶を引きずっている。どんな殺戮映画や、切り株ホラー映画よりも、死刑の現場を見ることこそリアルな殺人の現場を見てしまったことだか…
実家で、母親の身辺整理を手伝う。「わたしが死んだら」が口癖となった母から、そのときの諸々な手順の説明を受ける。母と父とわたしと猫と犬の死ぬ順序について、どの順序が最適なのか普通に語り合う。誰にとって最適なのかは考えない。いろいろな物が処分…
康本雅子「チビルダ ミチルダ」を見た次の日に「ムネモパーク」の演劇を超えたところに悶絶。この舞台設定のアイデアが素晴らしく、老人達の振舞いが素晴らしく、成り行きかと思わせて緻密な舞台構成が素晴らしい。舞台の鉄道模型とそこに積んだカメラが映す…
仕事中に糖分を補充しなければと思って、机で明治の板チョコを食べているときに限って、隣の彼は亀田製菓の米国進出について語りながら柿の種やポテトチップを食べる。そのとき、わたしの脳は糖分のことしか考えられないので柿の種の匂いすら嗅ぎたくないの…
近所のヴィレッジヴァンガードへ行くたびにレジの近くに置かれているHOLGAやLOMOのトイカメラを欲しくなっていたのだけど、なにせフィルムを換えたり現像に出すのが面倒と思っていたところ。世間では、VQ1005というトイなデジタルカメラが流行っているらしい…
先週は仕事を休んで殆ど毎日舞台を見た。五反田団とチェルフィッチュとサイモン・マクバーニーの「春琴」も西巣鴨で「溺れる男」も見た。映画館へも行き、舞台のあとにレイトショウにも行った。そのついでに、母の病院と猫の病院と自分の病院へ行っては、み…
わたしの年表があるのなら、21世紀はフジロックと猫の時代と命名されているのかもしれない。この時期になると知らされる出演者たちにも、 Bootsy Collinsが大勢でくるならバケット・ヘッドもくるかしらとかMY BLOODY VALENTINEや UNDERWORLDは星の下で聴く…
そして、最後のセックスについての考えは、病気がちの猫のようにそっと佇んでいて。それは多くの人が、「ああこれが最後のセックスであったのね」ということについての可能性を考えない。あるいはそういう危機感をもってセックスをしないから最後のセックス…
湯島のデリーでカレーを食べて汗をかきながら歩いて上野文化会館まで辿り着くと、劇場の入り口には救急車が回転灯をまわしながら停まっていた。それは、H・アール・カオスの舞台で使われるロープ吊りの保険のようなものだったのかと思ったのだけど、真相は…
人は最初のセックスについては、リボンでくるむようにして大切な場所に丁寧にしまい、語ったり語らなかったりしても、そこかしこで最初のセックスについて想い出す会というものが開かれている。しかし、それに対して最後のセックスについては、全く語られる…
餃子を食べていたら歯が抜けた。母が救急車で病院に入り入院する。自分の病気のことよりもアルツハイマーになった父を家で看病ができなかったことで自責の念で苦しんでいたこと語り続ける。またしても、自分の感情の薄さと追いつけなさぶりを知る。病院では…
文化庁の芸術家海外留学制度とかで演出家が海外に行くと、みんなつまらなくなって戻ってくる。というわたしの長年の理論をまた証明するために「空白に落ちた男」を見にベニサン・ピットまで。駅前の京金で蕎麦を食べられればいいんですから。という気概で行…
若手とは程遠いわたしはホワイトボードに文字を書くなどという半端な行為をしなくなっていたはずなのに、何かの間違いで殆ど初対面の人前でキュウキュウと文字を書くことになる。人前で唄うのと文字を書くのだけは、その下手さゆえ自我が崩壊してしまうくら…